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奥穂高岳、前穂高岳へ(20日:2日目)-中編

B01河童橋から見る眺めと逆の景色です。どこかわかりますか?

B02_3前穂へ向かって出発!

B03_2鎖の下の方でにいさん固まって中々動きません

B04本人は必死でしょうが、暇だな。鎖を使わないで横の方を下っても良いけれど、時間があるのでしばらく様子を見ていました。振り返ると奥穂が見えます。帰りはまた登らねばです。

B05前穂の北尾根。主峰から二峰

B06三峰、四峰・・・と続きます。

B07奥穂から西穂へのジャンダルム、馬の背からロバの耳がよく見えます。

B08コブの頭、天狗の頭・・・西穂高岳まで鎖の連続です。

B10前穂までの吊尾根・・・といってもルートは尾根上ではなく岳沢側についています。ちなみに上の写真のジャンダルムのルートは、主に岐阜県側なので写真からはよく見えません。

B09ず~っと先まで続く道。実はちょいしくじりました・・・その話はまた後ほど。

B11中央が奥穂の最高点、すぐ隣に南稜ノ頭、そこから少し離れてピークがひとつ。その下の方にコースが見えます。こんな所を歩いてきたんですね。画質を落としているので拡大してもわかりにくいですが、写真中央右手付近の岩にペンキで「分岐点」とあります。ここが最低コルです。

B12写真は再びジャンダルムから西穂

B13写真左手に焼岳が見えます。

B14_2手のような変わった形の岩です。熊騒ぎの乗鞍岳も見えます

B15さて、先ほど"しくじった"と書きました。実は前穂には紀美子平という所から重太郎新道と分岐して登るのですが、何をボ~っとしてたのか、分岐点(最低コル)から尾根沿いに登ってしまいました。昭文社の地図見ると"落石危険あるから歩かないように"とありますが、クライミング覚えると大概の所は歩けるようになってしまいます。しかも最初のうちは踏み跡もあります。

B16そんなわけで、最初に登り上げたところはここ。上の方はマーキングもないし変だなぁと思いながら、ひたすら登ってました

B17なにはともあれ涸沢から4時間ほどで前穂頂上に到着。槍が少し遠くなりました。尾根が入り組んでいますが、東鎌尾根~西岳~喜作新道と表銀座コースがよく見えます。ヒュッテ西岳もここからはよくわかります。

B18大天井~東天井~常念。この稜線のむこうに我が家があると思うと不思議な気がします。大天荘が見えています。

B19手前の稜線に見えるのは蝶ヶ岳。ヒュッテが見えます。その向こうは安曇野市?そしてその奥は浅間山かなぁ??

B20松本平、塩尻そして八ヶ岳、茅野か原村あたりの町も見えます。逆から前穂が見えるという事ですね。

B21富士山。時間は10時。今頃、やまたみ倶楽部のメンバーはお鉢巡りを終えて下山かな?

少々長くなったので続きは後編へ

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中部山岳エリア」カテゴリの記事

コメント

自遊人さん おはよう〜〜〜

とっても良いお天気で 山肌が綺麗ですね

幾重にも重なった山々〜〜〜〜うーちゃんは翼が欲しくなりました
西穂岳は土砂降りで登ったんですが もう全く記憶に無いです
辛かったことだけが・・・(o^-^o)

うーちゃんさん こんにちは

雨の日は登らないに限ります。辛いだけだし、危ないし・・。
翼があったら、高いところからいろんな風景を眺めてみたいです。

自遊人さんこんばんは~♪

1枚目の“どこかわかりますか~”の言葉におりひめは 地図を見ながら上高地の逆、焼岳から想像して頭をひねったのですが、山に縁のないおりひめは
わかりませんでした。
穂高があったり、涸沢があったり・・・乗鞍があったり・・
方向音痴だと地図を見てもわかりません。

紀美子さんと重太郎さんは悲しい伝説があるのかと思ったら親子だったのですね。

紀美子平
穂高岳山荘は1924年に、ガイドをしていた重太郎が石室を造ったのが始めだそうです。
その重太郎が新ルート(重太郎新道)開拓時に、連れてきた愛娘の紀美子を休ませたのが、紀美子平にある岩だそうです。その紀美子は、23歳の若さで他界したといいます。

↑検索して知りました。
野口五郎岳はどんなでしょうね。
また、気になってきました調べなくては・・・

最後の富士山、夜明け前かと思ったくらい幻想的な色ですね。

おりひめさん こんにちは
上高地・河童橋から見ると左から西穂、そしてジャンダルムがあって奥穂が見えます。右に前穂があるのですが、明神岳があってよくわからないです
一方、今回は涸沢から奥穂に登って、左の方に歩くと前穂があります。従って、上高地からは涸沢は見えません。
写真は稜線の一部から見ていますが、ちょうど日陰だしよくわかりませんね。

名前の由来、調べてみられたのですね。
今はすっかり登山道も整備され、ヘリで荷揚げする時代ですが、開拓の時代は苦労も多かった事でしょうね。装備も今ほど軽くないですしね。
でも違う面からはのんびりした時代だったともいえます。
紀美子平の岩でを休ませてはいけませんね。気をつけねば・・・

野口五郎岳・・・黒部五郎もありますが、たまに間違えてしまいます。一曲歌わねば登れないかな?

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