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2011年12月

ネパール最後の日々に思う (終)

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旅もいよいよ終わりに近づいてきました。長く続いたネパールトレッキングの記録も本稿で終わりです。帰国の途についた日からちょうど一ヶ月、今日はクリスマスですね。

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記事自体は予約投稿ですのでずいぶん前に書き上げました。
ここまでおつきあいいただいた皆さん、コメントいただいた方には本当に感謝いたします。

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旅に対する思いは人様々。ブログでは伝えられないこともたくさんあります。
この計画が立案された時から全ての資源をこれに向けて集中してきました。
でも準備期間が長かったわりには課題の多くは解決できませんでした。

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言い訳になりますが、課題クリアのため計画したこと、3月の大震災の発生、夏のグリーンパトロール不採用などで実行できなかったことも痛かったです。

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今、エベレスト街道トレッキングの旅は終わろうとしていますが、心の旅路はまだ来年も続きます。

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ひとつの旅が終わった時、また新たな旅が始まります。
日は西に傾き、カトマンズの町が見えてきました。

夜はネパール料理でさよならパーティ。

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肖像権もあるから表情は勘弁。みんな楽しそうでしたが、調子悪くて沢山食べられなかった自遊人はとても悔やまれました。(ちなみに動画中心に撮りました)
でも、変な病気じゃなかったようで良かったです。

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翌25日の朝、出発までの時間を使ってSさんの誕生祝いがありました。
この日が本当の誕生日。ケーキをお呼ばれして嬉しかったですが、いかんせんこの日も不調でした。

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午後バンコクへ向けフライト、夜乗り換えて翌朝名古屋に着きました。
フライトは順調でしたが、体調は絶不調down

帰国後1週間は本当にびくびくものでしたが、食欲は戻ったので良かったhappy01

( 終わり )

アンナプルナの夜明け、そして旅の終わりに

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11月24日はPOKHARA SARANGKOT展望台で夜明けを迎えました。
上弦の月はやがて満月を経て下弦の月に、いよいよネパール滞在時間もあと2日を切りました。

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2011_11_24_2179夜明け前のアンナプルナの山並み、雪が白く輝いています。

こうして地平線が赤く染まるのを見るのも久しぶりです。

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湖が見えますね。そして霧が谷間を埋めているのがわかります。
日が昇ってからカトマンズへと帰りましたが、しばらくバスはこの霧の中を走りました。

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アンナプルナの山並みに陽が当たり始めました。

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Machhapuchhre 6993m 別名Fishtail

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Annapuruna South 7219m とその右にANNAPURNA Ⅰ 8091m

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Annapuruna Ⅳ 7525m と Annapuruna Ⅱ 7939m 少し離れて Lamjung Himal 6932m

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展望台の日の出。

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遠くDhaulagiri 8167mにようやく陽が当たり始めました。標高は高いですが、緯度・経度の違いがこんなところで感じられます。

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宿から展望台下までマイクロバスで送迎してくれました。
そこから登ること約1時間。明るくなった帰りに見たら結構きつい坂でした。

ホテルに戻っての朝食。「ブラック珈琲」を頼んだのに誰も頼んでない「ミルク珈琲」が出てくるやる気のない食事を食べた後、バスでカトマンズへ。
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2011_11_24_0422ところで、この日は朝から不調でした(シモの方が・・・sad
その時、ちょっと気になっていたことがありました。
実はホテルの部屋にが飛んでいてを刺されたのでした。なんで頭を刺されるかはともかくsweat01、暖かいし、湖畔なのでいてもおかしくない。
熱帯地方の蚊で怖いのはデング熱。カトマンズでも発症事例があり、渡航前に情報得ていましたが、さすがにこの時期カトマンズでは蚊もいないだろう・・・暖かいポカラに行くことが決まった時、このことをすっかり忘れていました。症状がちょっと違うがとにかく安静に・・・無用に騒ぐと全員帰れなくなりますからね。

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広がる田園風景、白い山はだんだん遠く小さくなっていきます。
信州にもありそうな風景に、日本へ戻る日がせまっていることを感じさせます。

                < 続く >

カトマンズからポカラ観光へ(後編)

2011_11_23_2004用意してくれた貸し切りバス。
ポカラへはチリンとプードルジが同行してくれました。
でも添乗員の仕事しかないですね~。

たった11名なのにこの大きさ。快適なのですが荒れた道にはちょっと不向き。ロディオをイメージしてもらうとわかりますが、そんな乗り心地でした。

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まあ、そんな乗り心地は写真では表現できませんが、亜熱帯らしいリゾートの雰囲気を味わっていただきましょう。

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鳴き声が大きくて、熱帯植物園にいるような雰囲気

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仲間のYさんは蝶の名前も詳しい・・・いろいろ教えてもらったけど、日本でも似た仲間がいますね。

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2011_11_23_2014同じ国の中の移動だけでこれだけ気候も雰囲気も違う旅行をした事はありません。
う~ん まさにリゾート感覚

今までの緊張感が一気に緩んだ気がしました。
でも後で考えると、同時にどっと疲れが出たのかも知れません。翌日のカトマンズへの帰りから不調になりました。
油断大敵

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2011_11_23_2066_2赤トンボやシオカラトンボのような感じです。

だいたい南国のはハデハデが多い感じです。
これは人の生活を見ても感じますが、原色系が多い気がします。

続いてはゲテもの系2枚
駄目な人は拡大(クリック)しないでくださいdelicious

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安曇野にはいませんが、ヤモリは日本でも暖かい地方では見かけますね。
お口直し(直すのは目だsmile)に花の写真をどうぞ

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2011_11_23_2034名前がわかりませんが、花は心が和んでいいですね。

旅はポカラへ向けてさらに西へと進みます。
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ポカラへは路線バスもあるようです。王政から民主国家に移行したのが3年前、荒れた時期もあったようですが、町の様子は落ちついた雰囲気でした。でも地方の暮らしは栄えているようには見えませんでした。

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2011_11_23_2103途中大きな町を通過しました。
なんて町だったかな?手元にガイドブックがない(トレッキングしかない)のでわかりません。(聞いたけど忘れたthink)

ところでカトマンズではあまり見ないピンク色をいたる所でよく見かけました。服装もピンクをよく見かけましたが、民族的になにかあるのでしょうかね?

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2011_11_23_2133_2午後早いうちに着くかなぁと思いましたが、なんてことはない、一日がかりでしたbusdash
まあ、空路があるくらいですからねairplane。そんなに早く着くはずがありません。

でも、バスの旅はいろんな風景をのんびり楽しむことができて良いですね。
(もっとも路線バスではそんな情緒は味わえそうもないです)

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まもなくPHEWA LAKEのそばにあるHOTEL MEERAに着きました
屋上からの風景はこんな感じ

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湖畔まで行きました

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アンナプルナが夕陽に染まります。

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Machhapuchhre 6993mとAnnapurnaⅢ 7555m

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Annapurna Ⅱ 7939m と Annapurna Ⅳ 7525m

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島まで船で行けます。

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今夜も日本料理のお店でした。まあ、値段はだいたい高くないですからいいんですが、せっかくだから地元の料理屋さんがいいなぁ~。
つまみで飲んだ後、自遊人は無難な所でチキンカツを選びました。   

カトマンズからポカラ観光へ(前編)

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カトマンズに帰ってきてのホテルは「アンナプルナホテル」
外観もエントランスも前のフジホテルとえらい違いだな。場所も路地裏ではなく洒落たお店が並ぶ広い通り沿いです。

2011_11_22_194022日はスムーズにカトマンズに着きました。
ルクラでロッジ飯(※前夜宴会だったしキッチンチームはお休みでした)で朝は軽く済ましていましたが、バイキングとなれば食べずにはいられませんね。

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早く着きすぎでチェックインできないので食べながら待機していました。

3週間、めんどくさいしヒゲをそのまま伸ばしました。
(一応、洗面器のお湯は宿に到着した時と朝、用意してくれたのですが・・・)
全然似合わないなぁ~。だいたい貧乏ったらしいのに、ますます野暮ったい。がっかりしてこの夜剃りましたdespair

結局全員がチェックインできたのは午後。なにせチェックアウトタイムが12:00になっていました。

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チリンさんはまた明日迎えに来てくれます。
午後はみんなで町中をぶらぶらしながらお買い物。
そして暗くなる前に夕食。

個人的にはわざわざ海外で日本食を食べなくても良いように思うのですが、美味しくはなくてもまあ無難には違いないですね。(ネパールはどうかわかりませんが、最近は本来の日本食の味を伝えるお店もあるようです。自遊人はまだ入ったことはありません)

2011_11_23_1945さて、翌23日は一泊二日のポカラ観光に出かけました。
朝食は今日もたっぷりいただきました。

ところでこのホテル、見た目は立派ですが部屋によって差があります。
25日にもう一泊したのですが、そちらの部屋の方が良かったです。(設備も違うし、あの原始生物がたくさん・・coldsweats02)値段違うのかなぁ~

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ポカラまでは空路もありますが、貸切バスで行きました。ほぼ1日がかりの行程です。
町を抜けると山道になります。ちなみに自動車専用道路はここにはありませんよ。

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アジア的な風景。水稲も作られているようです。
乾期は雨が降ることがほとんどないので、地べたでも可能なようです。
写真に撮れなかったのですが、わらぼっちがありましたよ。

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ポカラはカトマンズの西、緯度は少し北に行く程度ですが、途中の標高は松本ぐらいとかなり低くなります(ポカラ自体も大町ぐらい)。北緯28度、暖かいのでバナナの木とかあります。数日前は木も生えてなかったのにどえりゃぁ標高差だに。

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バスに揺られ峠や町をいくつも越えながらしばらく行った後、休憩タイム。
ツーリスト用のドライブインみたいな場所がありました。
昼食もそんな場所のひとつのようでした。

上空から・・・そしてカトマンズへ <カトマンズへの帰路編(終)>

2011_11_07_0682_2翌22日、朝一番に空港へ。
荷物はすでに空港に運んでくれてありましたが、「鍵開けろ」と連絡があって宿から空港へ(真ん前で楽です)
すでにごった返していました。なにせちっこい空港ですからね。

さて、その荷物検査。まず人も荷物がガチャガチャの場所で、ダッフルバックの鍵を開けました。
しかし検査といっても手をすす~ってまわりに入れるだけ・・オイオイcatface その上、鍵をかけ終わるとバックのベルトを締める間もなく「ポイッ」と投げました・・・ヒドイナァpout

続いて安全検査。
仲間の持っていたガムテープが没収になりました(補修用になにかと便利です)。
行きは良かったのになぁ~。なんだか基準がよくわかりません。

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朝一番のチャーター機のチケットが取れました・・・って、定期便との違いはなにかなぁ~よくわかりませんが、とにかく飛行機が飛んでくれば乗れるようです。

違いは便名が書いてあるかないか
チャーター機も時間通りに来るわけではありません。
飛んでくる飛行機を眺めながら待機coldsweats02
飛行機会社の名前「AGNI(ってなんとなく言葉はわかります)」を呼ばれたら、その呼んだ人の所に飛んでいってチケットを見せて、ようやく滑走路へ(飛行機まで当然歩きです)coldsweats02coldsweats02

仕組みが理解できれば良いですが、初めてだったら言葉わからないし大変です。しかも天候不良で運航が乱れればさらにガチャガチャ。
紛れもなく観光地ですが観光客向けのサービスは皆無。まあ、地方だからやむを得ないとしてもカトマンズさえ似たり寄ったりです。

さて、本題の上空から」。11/22 ルクラ→カトマンズ

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2011_11_22_1937大して高くは飛ばない。
町が見えてくるとさらに高度は低くなります。

ルクラ→カトマンズは右側の座席の方が山もよく見えるし、順光でもあるので眺めはよいです。

ちなみにカトマンズは到着するとバスで建屋の外まで連れて行ってくれます。預け荷物も建屋の外で受け取ります。
アウトドア天国ですが、雨期はどないすんやろなぁ?

そんなカトマンズ空港は・・・
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やってもやらなくてもいいようなセキュリティーチェックを2回終えると、ようやく空港待合室となります。出発表示の電光掲示板は一応ありましたが、全然役立たず。でも前はなかったらしいですから使い方がわからないのかな?
国際便ターミナルはさすがにありましたが、これもほとんど役立たずでゲートをウロウロ探しました。
とにかくこの国は飛行機にのるまで息が抜けないbearing ・・・・・・・・

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たとえ乗れてもこんなこともあるので、やはり息抜けません。

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2011_11_07_0723絞りきれずたくさんになってしまいました。

この日は仲間と別々になってひとりで乗ってました。
20人程度の飛行機に日本人は他にふたり。
ルクラに着くとおったてられるようにターミナル内へ。
プロペラ回ってて危ないしね。

空港ではシェルパが待っていてくれて、荷物を受け取ってくれたので一安心(勝手に手伝ってチップを要求する輩がいるので油断できない)

 < 続く >

パクディンそしてルクラへ <カトマンズへの帰路編>

2011_11_08_118211日前の11月9日、ここナムチェバザールに着いた時は17人でした。
その後、11名は先へと進み、6名が目標とするカラパタールに登りそして帰ってきました。

2011_11_20_1727右写真は11月20日朝の様子。

旅もいよいよ終わりに近づいてきました。

2011_11_20_1728この門を再びくぐるのはいつの日になるでしょう。

次回訪れる時には花の写真を撮りながら登山できる体力と強い精神力を持っていたいものだと思いました。
その道は容易ではないことはわかっていますが、これをクリアしないと再び訪れる資格はないと思っています。
観光で訪れるのはいささかもったいないし、トレッキングはもう十分堪能した気がします。

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ナムチェの町よ。さようなら~

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Sagarmatha National Parkの外に出ました。

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お昼は行きと同じモンジョの青空食堂。

しばらく歩いた所で休憩に立ち寄った場所がありました。
ガイドのチリンにも顔を出していく場所がいろいろあるのでしょうね。

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小麦の緑が風に揺れます

白い花はさやえんどうでした。

今回、豆料理が少なかったのは残念でした。
ネパール料理というと豆スープが必ずあるイメージが強いです。

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2011_11_20_177914時半頃、ようやくパクディンのロッジからすぐの所にある吊り橋が見えてきました。
そして15時頃にはPHAKDING STAR LODGEに到着しました。

2011_11_20_1783行きは飛行機が乱れ、人も荷物もバラバラに着いたこの地に無事帰ってくることができました。

この日の夕食にはでっかいフライドチキンが出てきました。
もっと食べたかったけど我慢。
でも骨ごと全部いただきました。(ちょっと硬かったwobbly)

2011_11_21_1784翌21日、いよいよルクラへ戻ります。
帰り道では唯一と言って良い登りとなります。

2011_11_21_1785皇帝ダリアの咲く場所まで来て一休み。

谷間の道は日があたるのも遅いですが、さほど寒さは感じません。
標高が低くなったことを肌で感じます。

2011_11_21_1787_2下りはいつも食事ができるまで時間がかかります。

「コック長のミンバドールがシェフみたいに白い服を着てる」との話を聞いて、女性陣は興味津々見に行きました。
「後でコックの被る帽子を贈ろう」なんて話してました。

建屋の中は寒いので食事ができるまで外で待っている人が多かったです。

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なんでも人力。ロッジの壁とかに使うベニヤはこのように運んでいます。
この他、柱となる3M以上ある角材とかも同じようにして運んでいました。
狭い吊り橋とか蟹歩きするしかないですが、どうやって通過するのかなぁ?

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2011_11_21_1797ロッジ中心の風景から学校があったり生活臭のする風景に変わり、だんだんルクラの町が近づいていることを感じさせます。

午後一番、ついてにルクラの門が見えた時、旅の終わりが見えたことに感激しました。

2011_11_21_1803門に書かれた「 HAVE A NICE TREK 」の言葉。
決して満足いくトレッキングではありませんでしたが、無事にここまで帰ってこれたことに一安心

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無事帰った来られた感謝の気持ちをこめながら回します

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懐かしささえ感じるルクラの町。同時に日本の様子が気になる頃です。
予定より一日早くルクラに着きました。予定の飛行機は23日ですが、行きのように天候により飛ばないこともありますので、22日の飛行機をチャーターしました。定期便のキャンセル待ちでは全員乗れないし、天候不良で飛行機がダメならヘリという方法も選択肢に入れました。
もちろん定期便より高いですが、続くカトマンズからの国際便に乗れない事態になれば、航空券の取り直しからスタートでお金だけ済む問題ではありません。
確実にカトマンズに戻り、その分おまけでポカラへ観光することにしました(予備費はある程度準備していました)

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宿は空港の真ん前。ルクラでお別れのシェルパもいますので、全員でお別れパーティを開きました。

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全てのシェルパにボーナスが渡されます。
我々の前に西欧人のグループもお別れ会を開いていましたが、全員の前でいくら支給されたかわかるように分配したあと、各人にむきみで渡していました。日本では袋に入れて渡しますが、大きな国民性の違いを見た気がしました。

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事務局のSさんの挨拶に続いて乾杯

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お楽しみのケーキ(一昨年はチョコレートケーキだったそうです)。
後日、隊長からコメントがありましたが、ある理由から3つ用意してもらったそうです。いろいろ隊長さんは心配りも大変ですね。
帰りの飛行機の中で誕生日を迎えるSさんには、レイをかけてもらった上、バースディケーキも用意してくれていました。入刀は奥さまと、続いて女性チーム5000m達成記念、そしてカラパタール組登頂記念と続きました。

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2011_11_21_1901日本から持っていった日の丸に寄せ書き

最後はチュクン・リも書き加えて我々も名前を書き入れました。

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歌え踊れ、ルクラの夜はあっと言う間に過ぎていきました。    

NAMCHEの再会 <カトマンズへの帰路編>

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2011_11_19_164111月19日。ディブチェの朝。
午後は曇っても朝はすっきりと晴れる日が多いです。
ローツェ・エベレストに朝日があたってきました。

今日はナムチェバザールまで。
10日ぶりに戻りました。先に下山したグループはナムチェでお買い物したり、すっかり元気になっていました。

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シャクナゲ林に囲まれた石段の道を登り、8時過ぎタンボチェに着きました。
石段を登っている頃から盛んに泣き叫ぶ牛の声が~~もぅ~本当に絞め殺される寸前みたいな鳴き声でした。( ※ インドに同じく牛は食べませんよ・・・しかし水牛はいいのか?)

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2011_11_19_1656帰りはあっという間に町が過ぎていきます

一日の標高差も歩行距離も大したことはありません。
ただ、多くの人は日常、連続して歩いていないでしょう。
信州では車で移動する人が多いので、都会に比べたら一日の歩行時間は短いかも知れませんね。

とは言え、毎日これだけ変化に富んだ歩きは自遊人も経験が少ないです。

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2011_11_19_1674お昼はクムジュン近くのロッジ。
その名も“AMADABLAM VIEW LODGE”

このあたりはなぜか通りに子供がたくさんいました。
働いている子、遊んでいる子・・・様々

そんな子供達の写真
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母は強し。ここのロッジの旦那さんはレスキューで活躍されているのでしょうか。
小屋の壁にいろんな証明書が貼ってありました。

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上左写真、山の上の方にロッジが見えます。こちらはGOKYOへ行く道。
自遊人達は右写真の右端の丘にあるPhungI Thangの町を抜けてきました。
食事ができるまで時間がありましたので、日本の山仲間に電話しました。
こんな山奥でふだん使ってる携帯で電話できるなんて便利だなぁ~

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さて、ナムチェに近づいてきて、お土産を何にするか頭を巡ります。

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2011_11_19_168412:30頃、クムジュン・ゴーキョとの分岐につきました

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ライチョウのような鳥がいました。

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角やしっぽ、毛並みで牛・ゾッキョ・ヤクと区別がつくようです。

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14時半頃にナムチェのサクラホテルに着きました。
この日は土曜日ということで朝から生鮮食料品も出るバザーが開かれていたそうです。
夕方にはさすがに食料品などは終わっていました。

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ここに着くまでいろいろありました。計画より2日遅れで着いたナムチェに1日に早く帰ってきました。
後日聞きましたが、隊長さんは心労で眠れない日々だったそうです。
これだけの人数、例え顔見知りの仲間同士でもいろいろあります。

2011_11_19_1724この夜は実力あるシェルパさんが揃いました。

明日からはもうグループがバラバラで行動することはありません。
でも気持ちが一緒であったかというと、一度壊れた心のつながりは簡単には修復できなかったのでした。         

Debucheへ <カトマンズへの帰路編>

2011_11_18_2300空は青空一杯ですが、心は晴れぬまま。

夜中、酸素飽和度が73%まで低下しましたが、血圧も熱も正常範囲でしたので水だけ飲んで寝ました。
翌朝は83%まで回復。なんだったのかな?

とにかく、今日(18日)はディブチェまで15kmほどの行程となります。
食欲はないけど、無理してでも詰め込んでロブチェを後にしました。昨日すぐそばにあったプモリはもうこんなに小さくなりました。

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2011_11_18_230540分ほどで遭難碑のたつThokla峠に来ました
(※ ‘la’ 自体も峠の意味だそうです・・・)
先頭はプードルジシェルパ。荷物をもってもらった自遊人が続きます。
プー君はだいたい早足だし、自遊人も足はくたびれてません。途中で休憩してますから実質歩いたのは30分程度?

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雪崩とかで亡くなった多くのシェルパや隊員がここに眠っている神聖な場所です

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2011_11_18_2316下りは速いですね。

たまに先頭を任されるシェルパのプー君。
カラパタールも初めてだったそうです。
歩く道に迷うと一番後ろにいるチリンに道を聞いていました。

9時半前にトゥクラの町まで下りてきました。

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右写真中央の坂を下ってきました。大した坂ではないですが、ここは4000m超の地、登りはきつかったです。

2011_11_18_2321さて、トゥクラからさらにペリチェへと下ります。

下りきる頃には遠くペリチェの町が見えます。
距離にして約3k、見えている分到着するまでの時間は精神的にも長く感じました。

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トゥクラまでの行きと同じ風景を見ていますが、行きはディンボチェからの上の道からでした。今は川と同じ標高から見ていますが、同じ山も雰囲気が全然違って見えます。

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2011_11_18_2339_2昼食の時間はたっぷりあります。

精神的なこともあって体調は本調子ではありませんが、普通に食べられるくらいには回復しました。
この日もシェルパ(プー君)がザックを持ってくれましたので、体は疲れないどころか元気になりました。

サンドイッチと巻きずしの不思議な組み合わせ。
ポテトフライが美味しいです。

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2011_11_18_2353ズームアップすればそれなりの大きさに見えるローツェ。

今日は18日。一番そばまで訪れたのは4日前のことでした。
こうしてだんだん遠くなっていくと寂しい気がします。

最新の調査では「ヒマラヤの氷河はなくならない」との事ですが、次、訪れることがあった時、どんな姿をみせてくれるのでしょう。期待と不安が入り混じった気持ちを抱きながら、エベレストの眺めを背に下っていきました。

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途中で日本人のグループと会いました。カトマンズ⇔ルクラの飛行機が天候不良で飛ばず、やはり予定が大幅に狂ってしまったそうです。

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ザックも持ってもらってるし、帰りは楽だなぁ~。
最後の写真の一週間前の様子はこちら

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載っていない地図もあるディブチェは結構縦に長い町でした。
町をどんどん過ぎていき、「まだかなぁ~」と思った16時頃到着しました。
行きに「インターネットができるんだ」と思いながら通ったので見覚えがありました。

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ここのロッジが一番いい感じでした。なにせ食堂には音楽が流れているし、部屋の壁はベニヤむき出しじゃなくて壁紙が貼ってありましたからね。
ドイツ人のグループも泊まっていました。西欧人のグループはリーダーらしき人が長々と説明し、それをおとなしく聞いているスタイルが印象に残りました。
グループの中のひとりがチリンさんの略歴に感激して、後刻名刺交換もしてました。
なんども写真撮ったり、我々もなんだかついでに撮られたり・・・こういう陽気さはもともと日本人は乏しいですが、最近の若い人は変わってきた気がします。

明日はいよいよナムチェ。先に下山した組は元気にやってるかな~happy01   

カラパタールで思ったこと(11月17日)

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3枚あわせてカラパタールからほぼ360゜の風景です。スケールを感じてもらうために強引にパノラマにしましたcoldsweats01
氷河ってもっと白いイメージ(カナディアンロッキーのは白かった)でしたが、ここのは茶々けてます。

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カラパタールはEverestView Point として多くの“観光客”が目指して訪れます。
訪れるために必ず必要なものは①時間 (高所順応のための余裕ある日程) ②体力 (ルクラから歩き)
現地ガイドもポーターもMUSTではないが、どちらもいたほうが圧倒的に楽だ。
体力を浪費すれば高山病にもかかりやすくなるし金はかかっても雇うべきだろう。
結局もそれなりの費用=金は必要となります。

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一番上の写真中央の山(なんて名前だ?)をアップしました。こんな壁面によく雪がついていますね~。

実は今回、記録係を受けていましたが、翌朝(18日)辞退したのでした。
記録を行った人の思い出だけにしたくない。旅行集の多くがスナップ集でそれはそれで良いものですが、行ったことのない人が読んでもそこから伝わるものは多くはありません。
それを否定されては役目をまっとうできないと思い辞退しました。

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       なんて鳥かな?

デジカメの時代になり「誰でも気楽に撮れる」時代になりましたが、その分「1枚の大切さ」が失われてしまった気がします。
持参したメモリーは合計32GB、但しclass6以上は20GB。そのほとんどを消費しました。
動画やRAWで撮影するために十分ではありませんでしたので、被写体によってメモリーを使い分けていました。やたらと無駄打ちはできないので相当気を使っていましたので、気楽な事を言われすっかり気力も抜けてしまいました。

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ロブチェから下山した人もいましたので、予定を変更してロブチェを早朝4時立ちでカラパタールまで往復することに変更になりました。
記録のためのストーリー作りと3時間の時差が抜けていなかったので、前夜あまりよく眠れなかったこともあり、行きから結構フラフラしていましたが、頂上での一言ですっかり気持ちが切れてしまい、下りはシェルパの手を借りることになった上、昼も夜も食事を食べる気力さえなくなってしまいました。

2011_11_17_2259わがままと言われればその通りですが、記録係として信念を持って役目にあたっていただけに、「馬鹿」呼ばわれしてはやっていけません。

長い遠征隊でのメンタル面における苦労はいろいろ聞いてきました。
でも、これほど厳しいとは思いませんでした。

2011_11_17_2260弱いと言われればそれまで、弱点克服は容易ではありませんね。

ただ、その事で隊長にも心配をかけました。
その事が気にかかってなりません。
高山病になると精神の混乱も起きますから、本人の言ってることはあてにならないそうです。脳浮腫って恐ろしいですね。

いずれにせよ、もう少し精神面をなんとかしないといけないのですが、性格とともにこれはなんとも致しがたい。

2011_11_17_2232ともかく、ここまでは記録係として写真を撮ってきましたが、その後は“自分”の記録用写真を撮ることにしました。
AFを使い、AEロックは使わないのでコンデジ並みに撮影でき楽ですが、写真は平べったくなります。

ロブチェから・・・(11月16日)

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「ダイアモックスを飲んででも全員でカラパタールに登りたかった」
後日、隊長からこんな言葉がありましたが、男性1人と女性4人は行くことを諦めました。
苦渋の決断だったと思いますが、ひとりは酸素飽和度が60%台まで落ちましたし(70%を切ると危ない)、明らかに高山病の症状を呈している人が多かったのでやむを得なかったでしょう。

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直ちに高度を下げる必要のある人もいることから、隊も分かれることになりました。
これはサポートのシェルパ達もいることですから容易ではありません。
ともかく5人は午前中にペリチェ4240mまで下山を開始しました。チリンが同行。その日の夕方5時頃送り届けて帰ってきましたcoldsweats02
(下山組はチリンの奥さんのダワンさんがナムチェまでガイドしました)

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なんだかんだで16日は天気もすぐれず一日完全休養日となりました。
チリンの留守中はプーくんがリーダーを預かっていました。
21歳とまだ若く、経験もまだまだ。カトマンズ暮らしが長かったせいか、ちょい太めの彼でしたが、一生懸命やってくれました。宴会になると結構面白い。

さて話は戻って、16日朝の様子。
朝から時折雪が舞うあいにくの天気。

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北緯約28度といえば奄美大島より南、硫黄島よりは北くらいのイメージでしょうか。
でも標高約5000mともなればさすがに寒い。ちなみに冬に麓の大雪の目安としてよく耳にするのもこの標高の気温です。

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じっとしていても仕方ないので、午後、クンブー氷河の見える丘をぶらぶら歩きました。
写真左から南、東、西。ロブチェのある西側で雲はせき止められている感じ。東は比較的雲が少ないです。
雰囲気的には冬の安曇平みたいな感じでした。(西の山麓は雪が舞っているのに東山は晴れてる)

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プモリ、カラパタールは見えません。
昨日、食堂であった陽気な西欧人(どこから来たグループだったか忘れたcoldsweats01)はこの日カラパタールを目指すと話していましたが、どうしたかな~

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2011_11_16_0396_2氷河のそばまで行ってみたいなぁ~。でも抜け落ちたら生きて帰れないし、そもそも足元は今日もサンダルでした。

宿が下に見えます。

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2011_11_16_0406刻々とその姿を変えていく氷河。(注)目で見えるほど速くはないですけどねcatface
氷の中には太古の大気が閉じこめられていることでしょう。

一部は融け、川となり海へと流れていきます。
また一部は昇華し空へと消えていきます。

こうしてながめていると、何か話しかけてくるような気がしました。

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しばらく北へと歩いていきましたが、天気は好転しませんでした。
時折雪も舞い落ちてきますし、宿へと帰ることにしました。

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夕食はカレー。茶碗蒸しも出てきました。
いろんな一品が出てきて楽しみです。   

ロブチェへ(11月15日)

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ディンボチェのロッジからは一旦チュクンの方(東)に向かい、分岐から標高を上げながら西へ、仏塔から北へと向かいます。

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左前方にタボチェとチョラツェが見えてきます。右写真下の方にのびる筋に沿って北へと進みますが、ここで少し休憩しました。

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ディンボチェの町よさようなら。行く手には青空、でも雲行きが怪しい・・・
チリン曰く「大丈夫、天気は良くなる」とのことでしたが、どう見ても怪しい・・・

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このあたりは樹林帯もなく最も開放感を感じる場所でした。
右写真で下に見える町はペリチェ(Pheriche)。帰りはこの町を通過して写真中央の谷をルクラへと南下します。行きはこの谷を北上してきました。ディンボチェは写真の左側、ペリチェから見ると丘の上という位置関係になります。

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ヤクやゾッキョはふだん仕事のない時はこうして放牧されているようです。
休養は必要ですね。

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写真右手へと進むとやがてエベレストベースキャンプのあるクンブー氷河、そしてネパール・チベットの国境のMAHALANGUR HIMALへと至ります。
ペリチェには診療所があります。診療所の建物は東京医大が、運営はヒマラヤ救助協会というボランティア組織が行っていると本(魅惑のエベレスト山域)にありました。
こんな場所で川幅が広がったら心配・・実際、湿地帯のように小川もたくさんありました。

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その国境方面、これからこの右奥へと北上します。

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同じような写真ですが、先へ少しづつ進んでいますよ。

左写真のような小屋は放牧する時に利用したようです。
今は使われているのか?鍵がかかっていました。

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やがてChola Tsho (チョラ湖) という氷河湖が見えてきました。

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この湖のそばを通りCHO LA PASS(チョラ峠5368m)を越える道を通ってカラパタールとゴーキョピークを巡る人も多いようで、実際そんな西欧人にも数人会いました。

左手からのChola氷河がせき止めているように見えます。

以前、インド洋からサイクロン(台風)が北上し、エベレスト山域に大雨を降らせたことがありました。
そんなことが温暖化で頻繁に起こるようになれば、溢れたり決壊する氷河湖も出てくるかも知れません。

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2011_11_15_0341やがて前方にPumo Riが見えてきました。
これから向かうカラパタールはこの懐にあります。
プモリについてはシリーズ一番最初の記事として取り上げました。(こちら
7161mと高さはそこそこですが、クンブーの谷の正面に位置することもあり、いろんな場所からすっきりとその姿を見ることができました。

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2011_11_15_0344やがて、前方にThukla(Dughla 4620m)の町が見えてきました。
Khumbu Glacier(クンブー氷河)の末端に位置する小さな町。当初の計画ではここに一泊することになっていました。

ここから峠まで標高差200mの急坂も高度への適応の一つのポイントとなるようです。
ちょうどお昼。
しっかりと腹ごしらえをしてから登りました。

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小さな橋を渡るとトゥクラの町です。
ちなみに橋を渡る手前でペリチェとディンボチェの道は分かれていますが、標識もなんもありませんでした。見ればわかるし、ここまで来る人に地図を持っていない人はいないか!

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キッチンも青空(正確には雲が多かったがcoldsweats01)。谷間ということもありちょっと風もありました。いろいろ気にするとキリがないですcoldsweats02

食事している間に霧が下りてきました。

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Thukla4620mから写真のTombstone(遭難者の祈念碑)のあるThokla(Dughla) Pass4830mまでの約1時間ちょいは結構きついものでした。やはり高度の影響は大きいです。
ガスがかかっていたので写真はありません。遭難碑についてはまた後日書きたいと思います。

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さらに1時間ほど歩くと、やがて目指すロブチェが見えてきました。
本当ならLobucheの頂が見えるはずですが、雲に隠れて見えません。

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15時過ぎ、今日の宿、MOTHER EARTH HOUSEに着きました。

翌16日は休養日。

チュクン・リで見たかったもの(11月14日後編)

一つめは“ローツェからヌプツェの南壁に見られる約4億6000万年前の地層

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イエローバンドと呼ばれる変成石灰岩の層。エベレストの山頂付近にもあるこのイエローバンドからは、ウミユリの化石が見つかっているそうです。
この上の灰色の石灰岩層は、チョモランマ層、下の層は主として黒雲母片岩からなるノースコル層
今回、エベレスト本体でこの地層を見ることはできませんでしたが、標高8848mもの頂上付近に海生生物の化石があるということは、4億6000万年前は海の底だったことを示すもので、驚きを隠せません。(調査したチョモランマ総合学術調査隊の仕事も偉業ですね)

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海の底にあったヒマヤラが隆起を始めたのは「インド・オーストラリアプレート」が「ユーラシアプレート」と衝突したことによるとされています。
かつては15000メートル以上あったcoldsweats02とされるエベレスト。
褶曲した堆積岩の地層がずり落ち、さらに風雪や氷河による浸食によって現在の形になったとされています。
まだ隆起を続けているヒマラヤ山脈。まだまだその姿を変えていくのでしょう

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ところで、歩いているとホコリがすごいです。乾燥しているせいもありますが、ヒマラヤ山脈を形成したのが軽い堆積岩であることを示すものでもあります。
軽いためにプレートの下に沈まなかった堆積岩。
太古の海の底を歩いているのだと思うとなんだかワクワクします。
(もっともその前に高度から足が上がらないのが大変でした)

そして、もうひとつは“イムジャ湖

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イムジャ湖は標高約5000mにあり、東西約1.8km、水深約100mだそうですが、年々氷河の部分が解け、拡大していると言われています。
このまま湖が拡大するとやがて決壊し、下部の集落に深刻な被害を与える懸念があります。
自然の流れなのか、それとも地球温暖化によるものなのか。
一昨年の4~5月、県自然保護連盟の記念事業、そして県山岳協会と友好協定を結んでいるネパール山岳協会との記念事業としてトレッキングが行われました。

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6月(2009年)、信毎のギャラリーで開かれた写真展を見た時、「自分の目で見たいなぁ」と思いました。その時は単なる興味でしたが、その後環境のことをいろいろ知ると「これは大変なことだなぁ」と思うようになりました

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後退しつつある氷河
点在する氷河湖は、その後訪れたカラパタールでより目の当たりにしました(後日アップします)
作り出された風景の美しさにはもちろん感動しました。
でも同時にこの氷河湖が決壊した時、歩いてきた麓の町も人の生活も消えてしまうことを考えると、恐ろしく思いました。

このような事実を知るか否かわかりませんが、ここで生まれ育ったシェルパを前にして、素直にはしゃげない気がしました。
そんな複雑な思いを抱いた登頂でもありました。

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登頂後、チュクンで昼食のソーメンみたいなうどんを食べ、女性陣の待つディンボチェまで戻りました。
女性陣みんな体力回復、でも、今度は男性のひとりが埃で喉を痛めたのでした。

とにかく、翌日は全員で標高5000mのロブチェへと向かったのでした。

チュクン・リ登頂へ(11月14日前編)

2011_11_14_0273Chhukhung Riは登頂するのにお金が要ります。
(カラパタールは要らない)
でもネパール山岳協会から登頂の証明書が出ます。

Img_0002エベレスト街道から脇道にそれ、高度順応も兼ねて登るだけの価値はありました。

Img_0001日本の山岳協会もこのくらいやればいいのにね。

話はそれますが、国立公園に入るためのお金をとらないのは日本ぐらいかも知れない。
どこに使うかわからない無駄な税金は取るくせに、環境保護ににも必要なトイレの設置費用は仕分けてしまう国の姿勢がそもそも変です。

まあ、そんな話はさておいて・・・

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力餅食べて出発。空は青空、でも谷間には雲も見えますね。

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2011_11_14_0198いきなり凍った沢の連続渡渉。

チリン、「ここ」と決めたら石を投げ入れてもそこに渡る場所を作ってしまいました。

シェルパ達がサポートしてくれるので安心して渡れましたが、登る前から苦労するなぁ~
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まだ登り始めたばかりですが・・・

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荒涼とした風景の向こうに白く輝く山

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ドライフラワーになったエーデルワイスの花。黄金色はウスユキソウと風格の違いを感じさせます。

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Ama Dablamから北東へ続く稜線。Imja Kholaへいくつもの氷河が流れ込んでいます。

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谷を雲が進んできました。早く上に行きたいですが、足が思うように前へ進みません。

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氷河が白く輝いています。

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稜線の上まで出ると・・・

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少し雲が広がってきましたが、Nuptse 氷河と取り囲む山群が見えました。
右写真に綺麗な三角のプモリが見えます。カラパタールはこのすそ野になります。

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シェルパがコルで軽食(ビスケットとか)を出してくれました。
元気を出して頂上を目指します

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ちょっと足場が悪くなってきました。登山の雰囲気が出てきました。

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2011_11_14_0272イムジャ湖が見えます。この湖については明日、記事にしたいと思います。

雲がどんどん谷を埋めつくし、やがて氷河の方にも入ってきました。

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Chhukhung Ri(5550m) の北にある Chhukhung Tse(5857m)。
一般コースはないようです。

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Nuptse の 南岩壁が迫って見えます

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雲が谷を埋めつくしてきました。
昨日に引き続き午後になると雲が広がってきましたが、なんとかその前に登頂できました。

雪と氷の世界・・・チュクン(11月13日)後編

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2011_11_13_0149美しい雪と氷の壁

アップだけですと同じ雰囲気ですのでワイド写真を貼付しました。

チュクンまであとわずかですが、到着後の散歩も含めた記事にしました。

画像のサイズも落としているので十分に伝えられませんが、一度でよいからこの氷の滝の中に立ってみたいです。

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遠く見えたローツェ。その南壁が迫って見えます。

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氷河の痕跡。今回の旅では表面に露出している氷河の上は歩きませんでしたが、こんな氷河の跡はいくつか渡りました。

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川の水も空気も冷たく、日中でも氷は残っています。でも、やがて全て凍ってしまうのでしょう。

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遠くまでやってきました。明日登るChhukhung Ri(5550m)が“”のように見えます。(右写真、中央より左寄り上)
お昼前、チュクンのロッジに到着しました。

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ずっと見えてきたAma Dablamもずいぶん違った雰囲気に見えます。
昼食後、チリンの案内で近所を散歩することになりました。

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霧の中からローツェが少し顔をのぞかせました。でもこれ以上は・・・明日に期待です

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綺麗な模様の石がありました。残念だなぁ・・・持ち帰れないなぁ~

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今夜もカレーでした。ポップコーンはつまみかな~
でも高所なのでアルコールはNGです。

さらに未体験の領域へ・・・チュクンへ(11月13日)前編

2011_11_13_0110毎朝夕、健康チェックの実施。酸素飽和度と体温を測定しました。これは高度順応の具合を見る意味合いがあります。

高所に住んでるシェルパと違い、日本人は体への負担を減らし、ゆっくり高度を上げて低酸素状態に慣れるしかありません。一度高山病を発症すると高度を下げるしかないそうです。

高山病についてはいろんな本を読んでいただきたいので、ここでは触れませんが、その高度に達した瞬間に発症するわけでなく、一晩寝た翌朝ぐらいに発症すると言うこと。この日も4700m台のチュクン到着時の自遊人の酸素飽和度は一気に70台(77)まで低下しましたので、ダイアモックスを一錠(250mg)飲みました。
翌日は5500mのチュクン・リに登る計画でしたからね。

2011_11_13_0111女性陣は疲労もあったのでしょう。不調の人が多く、酸素飽和度の数字も朝の段階で低く、大事を取ってディンボチェに停滞することにしました。

無理してチュクンへ行けないこともなかったかもしれません。
行っていればその後のカラパタールに登れたかも知れません。
でも、高山病でヘリで下ろされる人も多くいるのも事実。
なにしろ自覚症状がはっきりせず、発症した時は記憶が飛んでいるそうですから厄介ですね。

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グループ行動の中でやむを得ない処置でしたが、後々の事から考えるとフォローも必要だった気はします。ただ、特殊な環境の場所でもありみんなギリギリなので、そこまで気を回せる余裕がなかったのも事実です。

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ともかく女性4名をディンボチェに残し、7名はChhukhung Riへ登るべく、麓のチュクンへ向けて出発したのでした。
谷を埋める雲が追いかけてきました。

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休憩をとりながらゆっくり進みます。

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2011_11_13_0117槍ヶ岳より鋭い感じです。

足元をみれば実がなっています。
食べられないわけではないようですが、美味しくないようです。

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Imja Kholaの流れ。写真でははっきりわかりませんが、雫が凍り輝いています。
ひときわ白く輝く山が見えてきました。
陽射しがあってもこれまでに比べると空気がひんやりしてきました。

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丸っこい石はどこからやってきたのでしょう?
石を見るとそこの地形ができるまでの日々に浪漫を感じます。

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石の囲いは放牧のための柵のようです。このような場所がたくさんありました。

後編へ続きます

いよいよ4000m越え、ディンボチェへ(11月12日)

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12日の朝、ナムチェ方面の谷を雲が覆っていました。

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お餅の出てきた朝食をいただき、出発の準備をしている間にもどんどん雲が責め上がってきます。天気の変わり目のようです。

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樹林帯はなくなり低木が中心となります。日本ですとハイマツですが、こちらでは杉?みたいな葉っぱでした。

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もやっては来ましたが、雲はやってこず一安心。

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ローツェに雲がかかっていますが、やや南向きに変わりました。
偏西風が蛇行している様子から暖気の北上がうかがえます。
実際、ルクラからカトマンズへの飛行機がストップしたのもこの頃からでした。

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モレーンだけが残る氷河の跡。やがて山の雪も消えてしまうのでしょうか?

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人は軽い荷物だけで景色を楽しみながらのんびり歩いていますが、ゾッキョは重い荷物を背負って一生懸命歩いています。「頑張って荷物運んでねぇ~」

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川は目線に近くなり、流れ込む沢も水量が多くなってきました。
(麓の方は伏流水となって枯れ沢が多いのです)

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開放感あるルートを歩いていると標高4000m超にいることを忘れさせてくれます。
パルスオキシメーターによる酸素飽和度も85~90%で安定していますが、風邪か寝不足のせいか、はたまた高度障害の兆候か頭はずっと痛いです。

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高度順応を兼ねて目指すチュクンも見えてきました

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おや?ゾッキョ使いはいずこに??

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猛禽類?と思われる白い鳥が飛んできました。とっさのことで条件も悪くてなんだかよくわかりませんが、神様の使いのように思いました。

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目指す町が見えてきました。駆けていけばすぐにも着けそうな距離。
体はまだ重くありませんが、なんたってここは未体験の標高です。

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白いヤクはみえますか?日本では見られないダイナミックさです。

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一歩一歩確実に町がそしてエベレスト・ローツェの眺めが近づいてきます。

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お昼前に町の入口に着きました。今日のお宿はどこかな~

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2011_11_12_1627部屋割りに従って荷物を受け取ったりしている間に、先に到着していたキッチンチームが昼飯を用意してくれました。

お昼は麺類が多いですね。乾麺でしょうが、沸騰しないお湯で上手にゆでてありました。
ジャガイモが甘くて美味しいのは特筆すべきか。
コロッケも結構定番メニューでしたね。

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夕食でもお芋はおかずの中心。いくつかのマサラで風味良く作られていました。
この日はさらにピザまで出てきました。調子は悪くとも食“欲”はありますので、これも美味しくいただきました。
ただ、生温かいデザートだけはやはり勘弁だなぁ~。    

タンボチェ、そしてパンボチェへ(11月10日・11日)

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10日、夕暮れ時のタンボチェ。ローツェに雲がかかり、エベレストはその奥にちょこんと頭が見えます。

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2011_11_10_1491今回の旅では一番しょぼいロッジでした。トイレは別棟のほうは洋式でした。
まあ似たり寄ったりですが、外にあるので寒いpenguin
ただでさえ緊張した旅でトイレが近いのに、高所で尿量は増加、高山病予防で飲んでるダイアモックスでトイレが近くなる・・・
夜中に何度もトイレに行ったのですっかり風邪をひきましたchick

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タンボチェにはクンブー地方最大のゴンパがあります。総本山のようで、ここから僧侶は各地の寺へと出向くそうです。

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2011_11_10_150311日は満月、お祭りがあるそうです。この日(10日)は前夜祭で練習?してました。

ブォ~ン、ブォ~ンって大きなラッパの音が耳につきます。

踊りの意味はわかりませんが、単純なものでした。
本番では違うのかなぁ~
このお祭りを見るのが目的の日本人の方とお会いしました。
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位置関係はよくわからないかも知れませんが、ほぼ全景になります。
大きな町ですね。

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10日の夕食。おでんでした。具材はおでんらしからぬものも入ってました。

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11日の朝、風邪気味でも飯は美味しくいただきます。
今日の予定はパンボチェまで・・・パンボチェ?地図で見るとすぐです。
計画より遅れてるし、次のディンボチェ(4300m)まで行けそうな気もしますが、標高が4000mを超えます。ガイドさんの計画に従いましょう。

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タンボチェからのシャクナゲ林の石段を下ります。花期はエベレストの遠望とのコラボが良さそうなビューポイントに思いました。

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2011_11_11_1531遠くアマダブラムを見ながら休憩。

日があたってくるととたんに暑くなってきます。

こまめな水分補給と服装調整がかかせません。

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お顔がちょっと怖いです。

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仏塔門が見えてきました。

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門のそばの岩に絵が描いてありました。

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神様の道のようにくねくね進みます。
アマダブラムとイムジャ コーラの流れが美しい

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綺麗に整ったパンボチェの町が見えてきました。

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10時のお茶の前に今日の目的地に着いちゃいました。のんびり休養できそうですね。

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ロッジの2階でのんびり昼食。

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お昼の後、時間がありましたので寝袋を干して少し高い所まで散歩することにしました。

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ローツェが見えます。エベレストは??ほとんど隠れてしまいました。
明日はこの谷をさらに先へと進みます。

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もう少し先へ進みたかったのですが、サンダルだったし、このあとロッジに戻りました。

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サウナも忌避行為の自遊人。血圧も上がって、この夜は鼻血ブーで具合が悪くなりました。

ナムチェからタンボチェへ(11月10日)

2011_11_08_1188ナムチェで利用したロッジの名前は「SAKURA」

カラパタールからの帰路でもう一泊しましたが、同じ部屋ばかりでした。
ナムチェの町の様子とかはその時にアップするとして、旅の記事を先に続けましょう。

ナムチェより先へ進むことになった10日。
最初の計画では8日にプンキテンガ(タンボチェより手前)まで進むことになっていましたから、二日遅れています。
でもガイドがうまく計画を組み直してくれました。

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2011_11_10_1405今朝はエベレストに雲がかかっていますね。

昨日歩いたシャンボチェの丘の東側すそのを回るように進みます。

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綺麗な仏塔がありました。ここで一休み。休憩は適当な間隔でとってくれます。
たぶん食事の時間との調整もあるのかもしれませんが、くたびれなくて良いです。   

2011_11_10_1414歩荷さんたちは黙々と歩いています。
もっともこの姿勢ではしゃべくりながらは歩けませんね。
音楽とかかけてる人も多かったです。ここではヘッドフォンする必要もないですからよく聞こえます。
ミニ音楽プレーヤーの類はずいぶん普及しているようでしたね。(たぶんラジオじゃないと思う)

ちなみに比較的アップテンポの曲でしたよ。
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見る景色が少しづつ変わっていきます。また町がひとつ見えてきました。

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所々でお茶休憩もとります。
小物とかアクセサリーも売ってたりして、女性はお買い物に余念がありません。
男性陣もついつい釣られて買ってしまいます。

菜の花の咲く風景もよく見られました。

右写真のはネパール式標準トイレ。穴の下にはわらとかがあります。意外と風が下から吹き上げてきません。
紙はお持ち帰り、これは水洗便所でも同じですので、大概ゴミ箱みたいな箱が置いてあります。日本の山小屋でもお馴染みの方法です。

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このお茶休憩した場所は分岐点となっています。
我々はカラパタールを目指すタンボチェへと向かいます。
ゴーキョピークとカラパタールを周回する方も結構おられるようでした。

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また吊り橋が出てきました。
吊り橋の下を通る時はさっさと通ります。橋の上の糞が落ちてくるかも知れませんからねcoldsweats01

地球誕生の頃は陸の大部分は海の底でした。
それが隆起して多くの台地は生まれました。
その後、風化や浸食を繰り返しながら今の風景があるわけです。この隆起は今でも続いています。

こんな地球の息吹を感じさせるダイナミックな風景を随所に見ることができます。

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結構揺れたりする時もありますが、幅が広いし横にネットが一応張ってあります。
でもワイヤーによっては油がついてるので、素手で掴む時は気をつけないといけません。

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シートの上に座っての青空食堂。気分はピクニック。
ネパールの定番メニュー、ダルバートを少しもらいました。
個人的には毎日これでもいいです。飽きるでしょうがここはネパールですからね。

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今日はまだそんなに標高差を歩きませんが、こんなアップダウンを繰り返します。

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移り変わる風景が着実に前進していることを感じさせます。
(拡大写真の上下が切れてしまう時はダウンロードしてご覧ください)

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樹林帯が少なくなり、岩肌が多く見られるようになってきました。

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シャンボチェの丘が遠くなりました。

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目指すタンボチェはまだかな~?日が傾いていくると宿が恋しくなります。

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15時頃、タンボチェに着きました。    

エベレストビューホテル

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2011_11_09_1343_2シャンボチェの丘に位置するエベレストビューホテル
その展望テラスからの眺め。

確かにエベレストは見えますが、はるか彼方。
しかもやはり裾野は見えません。鎌倉から箱根越しに見る富士山の雰囲気。まわりの山が立派すぎるのです。

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2011_11_09_1357_01LhotseからNuptseにつながる7000m級の稜線越しにしか見えないのである。
すっきりとした姿を見るにはチベット側に行かねばならないのですが、政情不安で容易には行けないなぁ~。

今回、この山群を西に回り込んだ所に位置するカラパタールが最終目的地でもあり、エベレスト登山への入口にもなります。(ちなみにエベレストベースキャンプはカラパタールの東方、クンブー氷河の端に位置します)

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堂々としたローツェの姿が美しい。
東端(写真右)に見える雪煙が上空の西風(偏西風)の強さを物語っています。
でも、今回、5500mまで行っても風が強くなく穏やかだったのは驚きでした。

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二十数年前、ユングフラウヨッホで味わったケーキ(確かザッハートルテではなかった)と珈琲ほどインパクトはなかった(この時は海外旅行初めてだったこともある)ですが、こうしてのんびり過ごす時間は日本ではなかなか味わえません。

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ガラスに映りこんだ山を撮したくて・・・camera
メモリアルボードがありました。有名人は違いますね。

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クムジュンの町の端ッこが見えます。
一昨年ナムチェバザールまで来たメンバーはクムジュンまで観光したそうです。
今回は行きませんでした。

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2011_11_09_1260ヘリが飛んでいました。

レスキュー、遊覧飛行・・・なんでしょう?

高山病で麓に下ろされるトレッカーやクライマーも多いそうです。お世話にならなくてよかったですが、別の日本人ツアーのグループで下ろされた人がいたそうです。

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飛行機も頻繁に飛んでいましたが、こちらは遊覧飛行とかですかね。
ちなみにシャンボチェまで飛行機で来れるようですが、高度順応は必要なので早く着いてもすぐ歩き出せるわけでないし、金は結構かかるそうです。

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タムセルク(Thamserku 6623m)もいつも視野に入る形のいい山でした。

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ルクラから歩いてきた谷間の町、渡った吊り橋を眼下に見下ろすことができます。

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コンデ・リを見ながら、ナムチェの町へと帰りました。
この後、ナムチェ組は帰路に、カラパタール組は明日は予定通りさらに前進することになりました。

ナムチェバールにて見かけた花(シャンボチェにて)

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秋の花、リンドウ科でゲンティアナ・デプレッサというそうです。
いたるところでよく見かけました。

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富士山とほぼ同じくらいの標高のSyangbocheからはNamche Bazarの町が箱庭のように見えます。

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ナムチェからの登りはじめは結構きついのですが、上部には開放感ある丘陵が広がっています。

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リンドウ科のゲンティアナ・プライニー。こちらはネットで見つけました。

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名前不詳。ヒロハヘビノボラズみたいにトゲトゲがあります。
でもゾッキョが食べてましたよ。紅葉が綺麗でした。

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左のまっ黄黄の蝶をなんども狙いましたが、こんなしょぼいのしか撮れませんでした。

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右手にタムセルク(Thamserku,6618m)、そして正面にアマダブラム(Ama Dablam,6814m)を眺めながらずんずん歩くと、やがてエベレストビューホテルにつきます。    

ナムチェバールにて(月明かりと夜明けの風景)

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月明かりに浮かぶ山とナムチェの夜景。
今回、急遽連泊することになり、初めてここを訪れた自遊人もゆっくり町を知る時間ができました。(カラパタール組のメンバーの多くは一昨年、ここまで訪れて観光しています)

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11/9はナムチェ組は午後帰路に、カラパタール組は休養ということで早朝、近くのArmy Campのある丘に日の出を見に出かけました。
真っ暗な博物館をヘッドランプで見学なんてこともしましたよ。

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露出時間はいい加減、実際よりかなり明るく写っています。
ところでここは軍の施設がすぐそばにあるようで、ウロウロしていたら「危ない」
一体何が危ないのか、最初全然わかりませんでした。

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実際に日が昇る所は見られませんでした。

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でも、みんなで今か今かと待っていました。

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日があたってきました。

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別の山の影が写っています。

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予想していた日の出のシーンではありませんでしたが、星座に詳しいY氏の説明で星を楽しんだりしながら朝食までのひとときを過ごしたのでした。   

パクディンからナムチェバザールへ(11月8日・後編)

旅の日程に従って記事をUPしていますが、ここで子供達の写真をいくつか

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ロッジで手伝う子、ゾッキョを扱う子、歩荷として働く子。
学校まで何キロも山道を通う子も見かけました。

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登ったり下ったり橋を渡ったりして、10時頃Monjoに着きました。
National Parkの入口までもう少し。ここで長いランチ休憩です。

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Monjoから東に登山道が延びています。
ここはロッジ兼レストランですが、庭が広くて外で食事できるスペースがありました。
ロッジで食事しなくても、場所の使用料だけ払えば利用できるようですね。

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キッチン拝見。食材、道具一式(燃料含む)はキッチンチームが背負って運びます。
我々が出発して間もなく、いつも後かたづけして荷物を背負ったキッチンチームに追い抜かれますcoldsweats01

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この日の昼食は天麩羅そば。さすがに生麺ではありませんが、上手く茹でてありましたよ。

表の通りでは・・・ゾッキョ大渋滞
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狭い場所ではどちらかが譲ってすれ違いますが、なにしろでっかいのでそばで見ていると迫力があります。

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2時間もの大休憩の後、出発。ビスタリ ビスタリの旅もいいものです。(ビスタリとはネパール語でゆっくりの意味です)

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しばらく歩くとSagarmatha National Parkの入口が見えてきました。
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全てガイドさんにお任せ。我々は手続きが終わるのを外で待っているだけですhappy01

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また吊り橋が見えてきました。

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陽射しが強くて暑いくらいですが、橋の上は涼しい風が心地良いです。

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途中で休憩を挟みながら一歩一歩進みます

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ナムチェまでの最後で一番川面からの高さが高い吊り橋を渡ります。
この後、尾根の急登が待っています。

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ここは踏ん張りどころ。標高はすでに3000mくらいです。

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振り返るとMeraの頂が見えます。

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上空の西風が強くなったようですね。しばらくは天気も安定しそうです。

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整備された石の階段を登っていくと、やがてローツェとエベレストの雄姿が眼前に広がります。

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手前に山稜がありますが、ひときわ高いエベレストがその頭をのぞかせます。

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15時も回ると山の端に日は沈みます。
リンドウの仲間のこの花、また後日アップしますが、このあたりで多く見かけました。

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ナムチェバールまであと少し

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ナムチェの町が見えてきました。

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16時前にはナムチェの町に到着しました。

パクディンからナムチェバザールへ(11月8日・前編)

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11/8、パクディンのロッジは青空一杯の朝を迎えました。

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エベレスト街道トレッキングは至る所にあるロッジ泊で行くことができます。
いずれも予約不要で安価ですので、わざわざテント泊する必要はありません。
食事はロッジでも食べられますが、今回のトレッキングではキッチンチームが随行して我々の口にあわせた料理を出してくれました。
朝食の定番はおかゆ。これにトーストやパンケーキがつきます。
お米はジャポニカ米。高所ですが圧力鍋を使って美味しく炊けていましたよ。
コック長のミンバドール・シェルパは日本で修行したそうで、その後出てきた料理もとても美味しいものでした。

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全員揃っての準備体操。ダッフルバックは土嚢袋にパッキングされていますが、ゾッキョが運んでくれます。

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一応、カラパタールまでのグループとナムチェバザールまでのグループでそれぞれのリーダーがついて行動することになりました。20人近くが一緒では動きにくいですしね。

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基本は石や煉瓦積み。木材を歩荷(ぼっか)さんが運ぶ姿を見かけましたが、長尺の柱の運搬は容易ではありません。周囲から調達できる場所はともかく(乾燥は必要だよねと言う指摘はありますが)多くは石を削って積んでました。
地震があったら一発アウトだな~。ちなみにロッジの内装はベニヤを貼っただけで、隣のいびきも通々でした。このベニヤは歩荷さんが運んでいるのを見かけましたよ。

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長靴の人がいますが気にしないでくださいね。ちなみにカインズで売ってる普通のゴム長です。今回5500Mまでこれで登られましたよ。さすがに飛行機は違いましたけど。
右の写真は飲用に使える水のようです。電気はきてましたが、下水道はありません。
飲めるかな?ちょっと試した感じでは大丈夫でしたけど、さて think

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滝がありました。
そしてそばにあるのは「滝見茶屋」

○○ビューホテルの類はいたる所で見かけましたよ。
いよいよ何も見えない所では“Garden View”=庭の見えるレストランなんてのもありました。

だいたい売店もあってジュース(ビールもね)とか売ってました。
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山の名前とか説明してくれましたが、たくさんあるからなぁ~、なかなか覚えきれません。
以前はビデオで撮影していたので音声も入って便利でした。
ボイスレコーダーを使う方法もありますね。
ただ、撮影者の声が大きく入ってしまうので会話が楽しめない難点があってやめちゃいました。

ちなみにこの山の名前は“クンビーラ(Khumbi Yul Lha)”だったかな?

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なるほどエベレスト“街道”と呼ばれるだけあってよく整備されています。
Dudn Koshi Riverに沿ってひたすらKhumbi Yul Lhaの麓を目指します。

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五葉松のような葉の長い松が多く見られます。
谷間の道が開け、陽があたってくるととたんに暑く感じるようになります。

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吊り橋のたもとのような狭い場所では人やゾッキョが集中することがあります。
狭い急坂に人もゾッキョもあえぎます。
ムチでピシピシたたかれるゾッキョがかわいそう~

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集落をぬうように進みます。途中、多くの仏塔や経文にはどんな文化が秘められているのでしょう?

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吊り橋をたくさん渡っていきます。吊り橋に弱いMさんは、いつもガイドのチリンさんにしがみついて渡ってました。

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2011_11_08_0977歩荷さんはこうして荷物を運ぶので頭がへこんでいるそうです。でも腰に負担をかけず、重い荷物を運ぶには理にかなった方法です。
石積のベンチはこういった歩荷さんが休むのに適当な高さとスペースになっています。

ロッジでもシャワーがありましたが、太陽熱温水器で溜めた水がなくなれば後は水のみ。
燃料が豊富でないためお湯は貴重品です。太陽光は発電に給湯にと有効に活用されていました。

後編ではいよいよSagarmatha National Parkへと入ります。

ルクラからパクディンへ(11月7日・後編)

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下りが多いので順調に前へと進めます

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多民族と宗教が複雑に絡み合う国ネパール。元国教のヒンズー教が多いようですが、古代・中世からの仏教文化を多く見ることができます。

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皇帝ダリアはルクラからパクディンの間でよく見かけました。
3~4m位と聞いていましたが、ここのは大木みたいでした。

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途中でチェックポイントがあって名簿を提出してましたよ。

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2011_11_07_084317時になりました。
日本との時差は3時間15分(中途半端だな)。すでにカトマンズで時差ボケは解消しましたが、お腹が空く時間になってきました。
野菜が美味しそう~

今回のトレッキングではキッチンチームが同行していて食事を作ってくれました。
もちろんロッジでも食事はできます。

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どうしても全部まわして歩きたくなります。

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仏塔とかこういう場所は左回りが基本です

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この後18時半頃、ようやくパクディンのロッジに到着。
ここで先行していたナムチェ組とようやく合流。17名揃ったのでした。

ルクラからパクディンへ(11月7日・前編)

2011_11_07_073211月7日の朝、自遊人はなんとか無事ルクラに降り立つことができました。

実はこの1週間ほど、飛行機がまともに飛べなかったそうで、その間、ずっとルクラに滞在している人と話もしましたし、その後の旅でもそんな人たちと出会いました。
この状態はその後、ナムチェ組がルクラからカトマンズへ戻った翌日にも発生し、この時もそれから5日間飛ばなかったそうです。

2011_11_07_0740そういう意味において言えば、我々は非常に運に恵まれていたと言えますが、7日に全員がルクラに揃うまでにも苦難が続きました。
まず、ひとつりづつ別々の飛行機で到着、さらにしばらく後にふたり到着、そこからずっと経って残りの7人+ガイド到着。
ルクラではシェルパ達が待機していてくれたので荷物とかの心配は要りませんでしたが、先に書いたような空港ですしちょっと心配ではありました。

そうそう荷物といえば、飛行機への預け荷物をナムチェ組とカトマンズで分けて載せたわけではなく、頭数にあわせて載せたのでごちゃごちゃにルクラに着いたのです。
自遊人の荷物に関して言えばナムチェ組と先にパクディンに着いたのです。
そのためなんとかなったわけですが、先行組はほとんどが寝袋なしを余儀なくされたのです(預け荷物は鍵かかってますから他人のは使えません)
トレッキング中のロッジで毛布とか貸してくれますが、やはりそれだけでは寒いわけで、カトマンズで寝袋をガイドさんに借りていったのです。
この寝袋が使えず、ナムチェ組は一晩かなり大変だったのではないかなと思います。

2011_11_07_0738_2とまあ、あとで振り返ると相当なトラブルのスタートでしたが、この写真(ヤクと牛の間の子のゾッキョと言います)を撮ってる頃は、「残りのメンバーはいつ来るのかなぁ~。今日は先へ進めるのかなぁ~。お腹空いたなぁ~(みんなが揃ったらとなかなか食べる機会を逸してた)」等と比較的のんきでした。
カトマンズにいた残りのメンバーは「いつ飛べるのか」狭くて暗い空港の中で飯を食いにいく暇もなくやきもきしてたのとは大きな違いですが、これも運なのでまあ仕方ないと割り切るしかないですね。

2011_11_07_0745なんとか全員が到着して簡単に食事を済ませた後、ルクラを出発できたのは14時半。

計画のパクディンまで着けそうな気がしなかったけど、ナムチェ組は先行して待ってるだろうし、暗くなっても案内してくれるし、まあヘッドランプもあるで、体力は有り余ってるだ(日本を出発してから運動せず食べてばっかり)で・・・ということで出発しました。
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大雑把に言えば、どんどん北上して行きます。

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2011_11_07_0771このゲートに再び戻ってくるのは2週間ちょっと先。

ここからの標高差は約2700m。でも、ここはすでに北アルプスの稜線と同じくらいの高さです。
そんなことを感じさせないトレッキングのスタートでした。

個人的には先行している荷物が心配。
先行しているグループとも早く合流したいですが、今日は予定のパクディンに着くこと。幸い下り主体でした。

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海外トレッキングはスイスアルプス、カナディアンロッキーと経験がありますが、牧歌的雰囲気のこういう場所が一番好きです

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続きは明日アップする後編へ

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安曇野の光と風

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