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パクディンそしてルクラへ <カトマンズへの帰路編>

2011_11_08_118211日前の11月9日、ここナムチェバザールに着いた時は17人でした。
その後、11名は先へと進み、6名が目標とするカラパタールに登りそして帰ってきました。

2011_11_20_1727右写真は11月20日朝の様子。

旅もいよいよ終わりに近づいてきました。

2011_11_20_1728この門を再びくぐるのはいつの日になるでしょう。

次回訪れる時には花の写真を撮りながら登山できる体力と強い精神力を持っていたいものだと思いました。
その道は容易ではないことはわかっていますが、これをクリアしないと再び訪れる資格はないと思っています。
観光で訪れるのはいささかもったいないし、トレッキングはもう十分堪能した気がします。

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ナムチェの町よ。さようなら~

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Sagarmatha National Parkの外に出ました。

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お昼は行きと同じモンジョの青空食堂。

しばらく歩いた所で休憩に立ち寄った場所がありました。
ガイドのチリンにも顔を出していく場所がいろいろあるのでしょうね。

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小麦の緑が風に揺れます

白い花はさやえんどうでした。

今回、豆料理が少なかったのは残念でした。
ネパール料理というと豆スープが必ずあるイメージが強いです。

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2011_11_20_177914時半頃、ようやくパクディンのロッジからすぐの所にある吊り橋が見えてきました。
そして15時頃にはPHAKDING STAR LODGEに到着しました。

2011_11_20_1783行きは飛行機が乱れ、人も荷物もバラバラに着いたこの地に無事帰ってくることができました。

この日の夕食にはでっかいフライドチキンが出てきました。
もっと食べたかったけど我慢。
でも骨ごと全部いただきました。(ちょっと硬かった)

2011_11_21_1784翌21日、いよいよルクラへ戻ります。
帰り道では唯一と言って良い登りとなります。

2011_11_21_1785皇帝ダリアの咲く場所まで来て一休み。

谷間の道は日があたるのも遅いですが、さほど寒さは感じません。
標高が低くなったことを肌で感じます。

2011_11_21_1787_2下りはいつも食事ができるまで時間がかかります。

「コック長のミンバドールがシェフみたいに白い服を着てる」との話を聞いて、女性陣は興味津々見に行きました。
「後でコックの被る帽子を贈ろう」なんて話してました。

建屋の中は寒いので食事ができるまで外で待っている人が多かったです。

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なんでも人力。ロッジの壁とかに使うベニヤはこのように運んでいます。
この他、柱となる3M以上ある角材とかも同じようにして運んでいました。
狭い吊り橋とか蟹歩きするしかないですが、どうやって通過するのかなぁ?

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2011_11_21_1797ロッジ中心の風景から学校があったり生活臭のする風景に変わり、だんだんルクラの町が近づいていることを感じさせます。

午後一番、ついてにルクラの門が見えた時、旅の終わりが見えたことに感激しました。

2011_11_21_1803門に書かれた「 HAVE A NICE TREK 」の言葉。
決して満足いくトレッキングではありませんでしたが、無事にここまで帰ってこれたことに一安心

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無事帰った来られた感謝の気持ちをこめながら回します

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懐かしささえ感じるルクラの町。同時に日本の様子が気になる頃です。
予定より一日早くルクラに着きました。予定の飛行機は23日ですが、行きのように天候により飛ばないこともありますので、22日の飛行機をチャーターしました。定期便のキャンセル待ちでは全員乗れないし、天候不良で飛行機がダメならヘリという方法も選択肢に入れました。
もちろん定期便より高いですが、続くカトマンズからの国際便に乗れない事態になれば、航空券の取り直しからスタートでお金だけ済む問題ではありません。
確実にカトマンズに戻り、その分おまけでポカラへ観光することにしました(予備費はある程度準備していました)

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宿は空港の真ん前。ルクラでお別れのシェルパもいますので、全員でお別れパーティを開きました。

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全てのシェルパにボーナスが渡されます。
我々の前に西欧人のグループもお別れ会を開いていましたが、全員の前でいくら支給されたかわかるように分配したあと、各人にむきみで渡していました。日本では袋に入れて渡しますが、大きな国民性の違いを見た気がしました。

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事務局のSさんの挨拶に続いて乾杯

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お楽しみのケーキ(一昨年はチョコレートケーキだったそうです)。
後日、隊長からコメントがありましたが、ある理由から3つ用意してもらったそうです。いろいろ隊長さんは心配りも大変ですね。
帰りの飛行機の中で誕生日を迎えるSさんには、レイをかけてもらった上、バースディケーキも用意してくれていました。入刀は奥さまと、続いて女性チーム5000m達成記念、そしてカラパタール組登頂記念と続きました。

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2011_11_21_1901日本から持っていった日の丸に寄せ書き

最後はチュクン・リも書き加えて我々も名前を書き入れました。

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歌え踊れ、ルクラの夜はあっと言う間に過ぎていきました。    

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コメント

自遊人さん こんにちわ〜〜

おおきな事故もなく皆さん揃ってここまで帰って来られよかったですね

沢山のケーキが用意され入刀も写真に納められ楽しい雰囲気が伝わって来ます

日の丸に寄せ書き〜〜
こんな事もするのですね
これはどなたが保管しておくの??
変な事が気になるうーちゃんです

今度何時来れるかなぁ〜〜なんて思われた瞬間ですね

うーちゃんさん コメントありがとうございます
この日の丸は隊長さんの所にあると思います。
今考えると、ネパールの国旗に寄せ書きしたものをシェルパ達に渡してきても良かったかなぁと思いました。

何度も行けるわけではありませんが、機会があればまた行きたいです。

自遊人さん、こんばんは
カラパタール登頂、おめでとうございます!^^
(かなり前のお話ではありますが・・・^^;)
長い旅の終わりは、ちょっぴりしんみりしますね^^;
楽しく、思い出深い旅なら、なお一層でしょう。
こうして時を追ってレポートという形でまとめられたのを読むことができ、
一緒に旅をしたような気分に浸れました。
ありがとうございました^^

azumino-macroさん コメントありがとうございます

思えばもう一ヶ月前の出来事です。
年末年始を使って海外へ出かける人の様子をテレビで放送していましたが、エベレスト街道に出かける人にインタビューしてました。
たぶんこの時期じゃ飛行機も高いだろうなぁ。それに寒いでしょうね。

> 一緒に旅をしたような気分に浸れました。
少しでも旅の雰囲気が伝わったようで嬉しく思います。
旅人目線で撮影したかいがありました。

☆まずは一区切りつかれたようで、また皆さん無事に帰れそうでよかったですね♪

ナムチェの街、本当に山嶺にへばりついた様な所にある街なのが解ります。
さようなら、ナムチェ。また逢う日まで・・・・という文句が良く似合う写真です。

顔が書いてある寺院、チベット仏教のお寺さんでしょうか?
東海道線を新大阪から大阪へ向かう途中、淀川を渡って左手すぐの所によく似た意匠のお寺さんがありますよ。

サイモンさん コメントありがとうございます
日本で体感できる最高高度まで戻るとホッとします。
でも、ルクラからナムチェまで来るだけでフラフラの日本人を見かけました。カトマンズを目指すツアーに入っていると話していましたが、誰の目にも無理な様子。ツアー会社の人にもやめた方がいいと言われたそうですが、来れてしまう人をある意味うらやましく思いました。

話がそれてしまいましたが、チベット仏教の影響はいたるところで目にしました。そもそもインドから伝わったもの・・・と書きながら、ふと、どのルートでチベットまで伝来したのかと疑問に思いました。
播隆上人のように修行でどこか登ってチベットへ越えたのでしょうかね?

> 東海道線を新大阪から大阪へ向かう途中、淀川を渡って左手すぐ
う~ん、進行方向右手に立つことが多い気もするし気づかなかったなぁ~

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