11日前の11月9日、ここナムチェバザールに着いた時は17人でした。
その後、11名は先へと進み、6名が目標とするカラパタールに登りそして帰ってきました。
右写真は11月20日朝の様子。
旅もいよいよ終わりに近づいてきました。
この門を再びくぐるのはいつの日になるでしょう。
次回訪れる時には花の写真を撮りながら登山できる体力と強い精神力を持っていたいものだと思いました。
その道は容易ではないことはわかっていますが、これをクリアしないと再び訪れる資格はないと思っています。
観光で訪れるのはいささかもったいないし、トレッキングはもう十分堪能した気がします。

ナムチェの町よ。さようなら~









Sagarmatha National Parkの外に出ました。



お昼は行きと同じモンジョの青空食堂。
しばらく歩いた所で休憩に立ち寄った場所がありました。
ガイドのチリンにも顔を出していく場所がいろいろあるのでしょうね。


小麦の緑が風に揺れます
白い花はさやえんどうでした。
今回、豆料理が少なかったのは残念でした。
ネパール料理というと豆スープが必ずあるイメージが強いです。
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14時半頃、ようやくパクディンのロッジからすぐの所にある吊り橋が見えてきました。
そして15時頃にはPHAKDING STAR LODGEに到着しました。
行きは飛行機が乱れ、人も荷物もバラバラに着いたこの地に無事帰ってくることができました。
この日の夕食にはでっかいフライドチキンが出てきました。
もっと食べたかったけど我慢。
でも骨ごと全部いただきました。(ちょっと硬かった
)
翌21日、いよいよルクラへ戻ります。
帰り道では唯一と言って良い登りとなります。
皇帝ダリアの咲く場所まで来て一休み。
谷間の道は日があたるのも遅いですが、さほど寒さは感じません。
標高が低くなったことを肌で感じます。
下りはいつも食事ができるまで時間がかかります。
「コック長のミンバドールがシェフみたいに白い服を着てる」との話を聞いて、女性陣は興味津々見に行きました。
「後でコックの被る帽子を贈ろう」なんて話してました。
建屋の中は寒いので食事ができるまで外で待っている人が多かったです。


なんでも人力。ロッジの壁とかに使うベニヤはこのように運んでいます。
この他、柱となる3M以上ある角材とかも同じようにして運んでいました。
狭い吊り橋とか蟹歩きするしかないですが、どうやって通過するのかなぁ?




ロッジ中心の風景から学校があったり生活臭のする風景に変わり、だんだんルクラの町が近づいていることを感じさせます。
午後一番、ついてにルクラの門が見えた時、旅の終わりが見えたことに感激しました。
門に書かれた「 HAVE A NICE TREK 」の言葉。
決して満足いくトレッキングではありませんでしたが、無事にここまで帰ってこれたことに一安心




無事帰った来られた感謝の気持ちをこめながら回します



懐かしささえ感じるルクラの町。同時に日本の様子が気になる頃です。
予定より一日早くルクラに着きました。予定の飛行機は23日ですが、行きのように天候により飛ばないこともありますので、22日の飛行機をチャーターしました。定期便のキャンセル待ちでは全員乗れないし、天候不良で飛行機がダメならヘリという方法も選択肢に入れました。
もちろん定期便より高いですが、続くカトマンズからの国際便に乗れない事態になれば、航空券の取り直しからスタートでお金だけ済む問題ではありません。
確実にカトマンズに戻り、その分おまけでポカラへ観光することにしました(予備費はある程度準備していました)

宿は空港の真ん前。ルクラでお別れのシェルパもいますので、全員でお別れパーティを開きました。


全てのシェルパにボーナスが渡されます。
我々の前に西欧人のグループもお別れ会を開いていましたが、全員の前でいくら支給されたかわかるように分配したあと、各人にむきみで渡していました。日本では袋に入れて渡しますが、大きな国民性の違いを見た気がしました。


事務局のSさんの挨拶に続いて乾杯




お楽しみのケーキ(一昨年はチョコレートケーキだったそうです)。
後日、隊長からコメントがありましたが、ある理由から3つ用意してもらったそうです。いろいろ隊長さんは心配りも大変ですね。
帰りの飛行機の中で誕生日を迎えるSさんには、レイをかけてもらった上、バースディケーキも用意してくれていました。入刀は奥さまと、続いて女性チーム5000m達成記念、そしてカラパタール組登頂記念と続きました。


日本から持っていった日の丸に寄せ書き
最後はチュクン・リも書き加えて我々も名前を書き入れました。
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歌え踊れ、ルクラの夜はあっと言う間に過ぎていきました。
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