海外

ネパール最後の日々に思う (終)

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旅もいよいよ終わりに近づいてきました。長く続いたネパールトレッキングの記録も本稿で終わりです。帰国の途についた日からちょうど一ヶ月、今日はクリスマスですね。

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記事自体は予約投稿ですのでずいぶん前に書き上げました。
ここまでおつきあいいただいた皆さん、コメントいただいた方には本当に感謝いたします。

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旅に対する思いは人様々。ブログでは伝えられないこともたくさんあります。
この計画が立案された時から全ての資源をこれに向けて集中してきました。
でも準備期間が長かったわりには課題の多くは解決できませんでした。

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言い訳になりますが、課題クリアのため計画したこと、3月の大震災の発生、夏のグリーンパトロール不採用などで実行できなかったことも痛かったです。

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今、エベレスト街道トレッキングの旅は終わろうとしていますが、心の旅路はまだ来年も続きます。

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ひとつの旅が終わった時、また新たな旅が始まります。
日は西に傾き、カトマンズの町が見えてきました。

夜はネパール料理でさよならパーティ。

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肖像権もあるから表情は勘弁。みんな楽しそうでしたが、調子悪くて沢山食べられなかった自遊人はとても悔やまれました。(ちなみに動画中心に撮りました)
でも、変な病気じゃなかったようで良かったです。

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翌25日の朝、出発までの時間を使ってSさんの誕生祝いがありました。
この日が本当の誕生日。ケーキをお呼ばれして嬉しかったですが、いかんせんこの日も不調でした。

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午後バンコクへ向けフライト、夜乗り換えて翌朝名古屋に着きました。
フライトは順調でしたが、体調は絶不調

帰国後1週間は本当にびくびくものでしたが、食欲は戻ったので良かった

( 終わり )

アンナプルナの夜明け、そして旅の終わりに

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11月24日はPOKHARA SARANGKOT展望台で夜明けを迎えました。
上弦の月はやがて満月を経て下弦の月に、いよいよネパール滞在時間もあと2日を切りました。

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2011_11_24_2179夜明け前のアンナプルナの山並み、雪が白く輝いています。

こうして地平線が赤く染まるのを見るのも久しぶりです。

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湖が見えますね。そして霧が谷間を埋めているのがわかります。
日が昇ってからカトマンズへと帰りましたが、しばらくバスはこの霧の中を走りました。

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アンナプルナの山並みに陽が当たり始めました。

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Machhapuchhre 6993m 別名Fishtail

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Annapuruna South 7219m とその右にANNAPURNA Ⅰ 8091m

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Annapuruna Ⅳ 7525m と Annapuruna Ⅱ 7939m 少し離れて Lamjung Himal 6932m

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展望台の日の出。

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遠くDhaulagiri 8167mにようやく陽が当たり始めました。標高は高いですが、緯度・経度の違いがこんなところで感じられます。

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宿から展望台下までマイクロバスで送迎してくれました。
そこから登ること約1時間。明るくなった帰りに見たら結構きつい坂でした。

ホテルに戻っての朝食。「ブラック珈琲」を頼んだのに誰も頼んでない「ミルク珈琲」が出てくるやる気のない食事を食べた後、バスでカトマンズへ。
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2011_11_24_0422ところで、この日は朝から不調でした(シモの方が・・・
その時、ちょっと気になっていたことがありました。
実はホテルの部屋にが飛んでいてを刺されたのでした。なんで頭を刺されるかはともかく、暖かいし、湖畔なのでいてもおかしくない。
熱帯地方の蚊で怖いのはデング熱。カトマンズでも発症事例があり、渡航前に情報得ていましたが、さすがにこの時期カトマンズでは蚊もいないだろう・・・暖かいポカラに行くことが決まった時、このことをすっかり忘れていました。症状がちょっと違うがとにかく安静に・・・無用に騒ぐと全員帰れなくなりますからね。

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広がる田園風景、白い山はだんだん遠く小さくなっていきます。
信州にもありそうな風景に、日本へ戻る日がせまっていることを感じさせます。

                < 続く >

カトマンズからポカラ観光へ(後編)

2011_11_23_2004用意してくれた貸し切りバス。
ポカラへはチリンとプードルジが同行してくれました。
でも添乗員の仕事しかないですね~。

たった11名なのにこの大きさ。快適なのですが荒れた道にはちょっと不向き。ロディオをイメージしてもらうとわかりますが、そんな乗り心地でした。

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まあ、そんな乗り心地は写真では表現できませんが、亜熱帯らしいリゾートの雰囲気を味わっていただきましょう。

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鳴き声が大きくて、熱帯植物園にいるような雰囲気

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仲間のYさんは蝶の名前も詳しい・・・いろいろ教えてもらったけど、日本でも似た仲間がいますね。

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2011_11_23_2014同じ国の中の移動だけでこれだけ気候も雰囲気も違う旅行をした事はありません。
う~ん まさにリゾート感覚

今までの緊張感が一気に緩んだ気がしました。
でも後で考えると、同時にどっと疲れが出たのかも知れません。翌日のカトマンズへの帰りから不調になりました。
油断大敵

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2011_11_23_2066_2赤トンボやシオカラトンボのような感じです。

だいたい南国のはハデハデが多い感じです。
これは人の生活を見ても感じますが、原色系が多い気がします。

続いてはゲテもの系2枚
駄目な人は拡大(クリック)しないでください

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安曇野にはいませんが、ヤモリは日本でも暖かい地方では見かけますね。
お口直し(直すのは目だ)に花の写真をどうぞ

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2011_11_23_2034名前がわかりませんが、花は心が和んでいいですね。

旅はポカラへ向けてさらに西へと進みます。
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ポカラへは路線バスもあるようです。王政から民主国家に移行したのが3年前、荒れた時期もあったようですが、町の様子は落ちついた雰囲気でした。でも地方の暮らしは栄えているようには見えませんでした。

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2011_11_23_2103途中大きな町を通過しました。
なんて町だったかな?手元にガイドブックがない(トレッキングしかない)のでわかりません。(聞いたけど忘れた)

ところでカトマンズではあまり見ないピンク色をいたる所でよく見かけました。服装もピンクをよく見かけましたが、民族的になにかあるのでしょうかね?

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2011_11_23_2133_2午後早いうちに着くかなぁと思いましたが、なんてことはない、一日がかりでした
まあ、空路があるくらいですからね。そんなに早く着くはずがありません。

でも、バスの旅はいろんな風景をのんびり楽しむことができて良いですね。
(もっとも路線バスではそんな情緒は味わえそうもないです)

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まもなくPHEWA LAKEのそばにあるHOTEL MEERAに着きました
屋上からの風景はこんな感じ

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湖畔まで行きました

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アンナプルナが夕陽に染まります。

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Machhapuchhre 6993mとAnnapurnaⅢ 7555m

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Annapurna Ⅱ 7939m と Annapurna Ⅳ 7525m

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島まで船で行けます。

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今夜も日本料理のお店でした。まあ、値段はだいたい高くないですからいいんですが、せっかくだから地元の料理屋さんがいいなぁ~。
つまみで飲んだ後、自遊人は無難な所でチキンカツを選びました。   

カトマンズからポカラ観光へ(前編)

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カトマンズに帰ってきてのホテルは「アンナプルナホテル」
外観もエントランスも前のフジホテルとえらい違いだな。場所も路地裏ではなく洒落たお店が並ぶ広い通り沿いです。

2011_11_22_194022日はスムーズにカトマンズに着きました。
ルクラでロッジ飯(※前夜宴会だったしキッチンチームはお休みでした)で朝は軽く済ましていましたが、バイキングとなれば食べずにはいられませんね。

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早く着きすぎでチェックインできないので食べながら待機していました。

3週間、めんどくさいしヒゲをそのまま伸ばしました。
(一応、洗面器のお湯は宿に到着した時と朝、用意してくれたのですが・・・)
全然似合わないなぁ~。だいたい貧乏ったらしいのに、ますます野暮ったい。がっかりしてこの夜剃りました

結局全員がチェックインできたのは午後。なにせチェックアウトタイムが12:00になっていました。

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チリンさんはまた明日迎えに来てくれます。
午後はみんなで町中をぶらぶらしながらお買い物。
そして暗くなる前に夕食。

個人的にはわざわざ海外で日本食を食べなくても良いように思うのですが、美味しくはなくてもまあ無難には違いないですね。(ネパールはどうかわかりませんが、最近は本来の日本食の味を伝えるお店もあるようです。自遊人はまだ入ったことはありません)

2011_11_23_1945さて、翌23日は一泊二日のポカラ観光に出かけました。
朝食は今日もたっぷりいただきました。

ところでこのホテル、見た目は立派ですが部屋によって差があります。
25日にもう一泊したのですが、そちらの部屋の方が良かったです。(設備も違うし、あの原始生物がたくさん・・)値段違うのかなぁ~

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ポカラまでは空路もありますが、貸切バスで行きました。ほぼ1日がかりの行程です。
町を抜けると山道になります。ちなみに自動車専用道路はここにはありませんよ。

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アジア的な風景。水稲も作られているようです。
乾期は雨が降ることがほとんどないので、地べたでも可能なようです。
写真に撮れなかったのですが、わらぼっちがありましたよ。

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ポカラはカトマンズの西、緯度は少し北に行く程度ですが、途中の標高は松本ぐらいとかなり低くなります(ポカラ自体も大町ぐらい)。北緯28度、暖かいのでバナナの木とかあります。数日前は木も生えてなかったのにどえりゃぁ標高差だに。

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バスに揺られ峠や町をいくつも越えながらしばらく行った後、休憩タイム。
ツーリスト用のドライブインみたいな場所がありました。
昼食もそんな場所のひとつのようでした。

上空から・・・そしてカトマンズへ <カトマンズへの帰路編(終)>

2011_11_07_0682_2翌22日、朝一番に空港へ。
荷物はすでに空港に運んでくれてありましたが、「鍵開けろ」と連絡があって宿から空港へ(真ん前で楽です)
すでにごった返していました。なにせちっこい空港ですからね。

さて、その荷物検査。まず人も荷物がガチャガチャの場所で、ダッフルバックの鍵を開けました。
しかし検査といっても手をすす~ってまわりに入れるだけ・・オイオイ その上、鍵をかけ終わるとバックのベルトを締める間もなく「ポイッ」と投げました・・・ヒドイナァ

続いて安全検査。
仲間の持っていたガムテープが没収になりました(補修用になにかと便利です)。
行きは良かったのになぁ~。なんだか基準がよくわかりません。

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朝一番のチャーター機のチケットが取れました・・・って、定期便との違いはなにかなぁ~よくわかりませんが、とにかく飛行機が飛んでくれば乗れるようです。

違いは便名が書いてあるかないか
チャーター機も時間通りに来るわけではありません。
飛んでくる飛行機を眺めながら待機
飛行機会社の名前「AGNI(ってなんとなく言葉はわかります)」を呼ばれたら、その呼んだ人の所に飛んでいってチケットを見せて、ようやく滑走路へ(飛行機まで当然歩きです)

仕組みが理解できれば良いですが、初めてだったら言葉わからないし大変です。しかも天候不良で運航が乱れればさらにガチャガチャ。
紛れもなく観光地ですが観光客向けのサービスは皆無。まあ、地方だからやむを得ないとしてもカトマンズさえ似たり寄ったりです。

さて、本題の上空から」。11/22 ルクラ→カトマンズ

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2011_11_22_1937大して高くは飛ばない。
町が見えてくるとさらに高度は低くなります。

ルクラ→カトマンズは右側の座席の方が山もよく見えるし、順光でもあるので眺めはよいです。

ちなみにカトマンズは到着するとバスで建屋の外まで連れて行ってくれます。預け荷物も建屋の外で受け取ります。
アウトドア天国ですが、雨期はどないすんやろなぁ?

そんなカトマンズ空港は・・・
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やってもやらなくてもいいようなセキュリティーチェックを2回終えると、ようやく空港待合室となります。出発表示の電光掲示板は一応ありましたが、全然役立たず。でも前はなかったらしいですから使い方がわからないのかな?
国際便ターミナルはさすがにありましたが、これもほとんど役立たずでゲートをウロウロ探しました。
とにかくこの国は飛行機にのるまで息が抜けない ・・・・・・・・

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たとえ乗れてもこんなこともあるので、やはり息抜けません。

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2011_11_07_0723絞りきれずたくさんになってしまいました。

この日は仲間と別々になってひとりで乗ってました。
20人程度の飛行機に日本人は他にふたり。
ルクラに着くとおったてられるようにターミナル内へ。
プロペラ回ってて危ないしね。

空港ではシェルパが待っていてくれて、荷物を受け取ってくれたので一安心(勝手に手伝ってチップを要求する輩がいるので油断できない)

 < 続く >

パクディンそしてルクラへ <カトマンズへの帰路編>

2011_11_08_118211日前の11月9日、ここナムチェバザールに着いた時は17人でした。
その後、11名は先へと進み、6名が目標とするカラパタールに登りそして帰ってきました。

2011_11_20_1727右写真は11月20日朝の様子。

旅もいよいよ終わりに近づいてきました。

2011_11_20_1728この門を再びくぐるのはいつの日になるでしょう。

次回訪れる時には花の写真を撮りながら登山できる体力と強い精神力を持っていたいものだと思いました。
その道は容易ではないことはわかっていますが、これをクリアしないと再び訪れる資格はないと思っています。
観光で訪れるのはいささかもったいないし、トレッキングはもう十分堪能した気がします。

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ナムチェの町よ。さようなら~

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Sagarmatha National Parkの外に出ました。

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お昼は行きと同じモンジョの青空食堂。

しばらく歩いた所で休憩に立ち寄った場所がありました。
ガイドのチリンにも顔を出していく場所がいろいろあるのでしょうね。

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小麦の緑が風に揺れます

白い花はさやえんどうでした。

今回、豆料理が少なかったのは残念でした。
ネパール料理というと豆スープが必ずあるイメージが強いです。

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2011_11_20_177914時半頃、ようやくパクディンのロッジからすぐの所にある吊り橋が見えてきました。
そして15時頃にはPHAKDING STAR LODGEに到着しました。

2011_11_20_1783行きは飛行機が乱れ、人も荷物もバラバラに着いたこの地に無事帰ってくることができました。

この日の夕食にはでっかいフライドチキンが出てきました。
もっと食べたかったけど我慢。
でも骨ごと全部いただきました。(ちょっと硬かった)

2011_11_21_1784翌21日、いよいよルクラへ戻ります。
帰り道では唯一と言って良い登りとなります。

2011_11_21_1785皇帝ダリアの咲く場所まで来て一休み。

谷間の道は日があたるのも遅いですが、さほど寒さは感じません。
標高が低くなったことを肌で感じます。

2011_11_21_1787_2下りはいつも食事ができるまで時間がかかります。

「コック長のミンバドールがシェフみたいに白い服を着てる」との話を聞いて、女性陣は興味津々見に行きました。
「後でコックの被る帽子を贈ろう」なんて話してました。

建屋の中は寒いので食事ができるまで外で待っている人が多かったです。

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なんでも人力。ロッジの壁とかに使うベニヤはこのように運んでいます。
この他、柱となる3M以上ある角材とかも同じようにして運んでいました。
狭い吊り橋とか蟹歩きするしかないですが、どうやって通過するのかなぁ?

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2011_11_21_1797ロッジ中心の風景から学校があったり生活臭のする風景に変わり、だんだんルクラの町が近づいていることを感じさせます。

午後一番、ついてにルクラの門が見えた時、旅の終わりが見えたことに感激しました。

2011_11_21_1803門に書かれた「 HAVE A NICE TREK 」の言葉。
決して満足いくトレッキングではありませんでしたが、無事にここまで帰ってこれたことに一安心

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無事帰った来られた感謝の気持ちをこめながら回します

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懐かしささえ感じるルクラの町。同時に日本の様子が気になる頃です。
予定より一日早くルクラに着きました。予定の飛行機は23日ですが、行きのように天候により飛ばないこともありますので、22日の飛行機をチャーターしました。定期便のキャンセル待ちでは全員乗れないし、天候不良で飛行機がダメならヘリという方法も選択肢に入れました。
もちろん定期便より高いですが、続くカトマンズからの国際便に乗れない事態になれば、航空券の取り直しからスタートでお金だけ済む問題ではありません。
確実にカトマンズに戻り、その分おまけでポカラへ観光することにしました(予備費はある程度準備していました)

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宿は空港の真ん前。ルクラでお別れのシェルパもいますので、全員でお別れパーティを開きました。

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全てのシェルパにボーナスが渡されます。
我々の前に西欧人のグループもお別れ会を開いていましたが、全員の前でいくら支給されたかわかるように分配したあと、各人にむきみで渡していました。日本では袋に入れて渡しますが、大きな国民性の違いを見た気がしました。

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事務局のSさんの挨拶に続いて乾杯

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お楽しみのケーキ(一昨年はチョコレートケーキだったそうです)。
後日、隊長からコメントがありましたが、ある理由から3つ用意してもらったそうです。いろいろ隊長さんは心配りも大変ですね。
帰りの飛行機の中で誕生日を迎えるSさんには、レイをかけてもらった上、バースディケーキも用意してくれていました。入刀は奥さまと、続いて女性チーム5000m達成記念、そしてカラパタール組登頂記念と続きました。

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2011_11_21_1901日本から持っていった日の丸に寄せ書き

最後はチュクン・リも書き加えて我々も名前を書き入れました。

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歌え踊れ、ルクラの夜はあっと言う間に過ぎていきました。    

NAMCHEの再会 <カトマンズへの帰路編>

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2011_11_19_164111月19日。ディブチェの朝。
午後は曇っても朝はすっきりと晴れる日が多いです。
ローツェ・エベレストに朝日があたってきました。

今日はナムチェバザールまで。
10日ぶりに戻りました。先に下山したグループはナムチェでお買い物したり、すっかり元気になっていました。

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シャクナゲ林に囲まれた石段の道を登り、8時過ぎタンボチェに着きました。
石段を登っている頃から盛んに泣き叫ぶ牛の声が~~もぅ~本当に絞め殺される寸前みたいな鳴き声でした。( ※ インドに同じく牛は食べませんよ・・・しかし水牛はいいのか?)

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2011_11_19_1656帰りはあっという間に町が過ぎていきます

一日の標高差も歩行距離も大したことはありません。
ただ、多くの人は日常、連続して歩いていないでしょう。
信州では車で移動する人が多いので、都会に比べたら一日の歩行時間は短いかも知れませんね。

とは言え、毎日これだけ変化に富んだ歩きは自遊人も経験が少ないです。

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2011_11_19_1674お昼はクムジュン近くのロッジ。
その名も“AMADABLAM VIEW LODGE”

このあたりはなぜか通りに子供がたくさんいました。
働いている子、遊んでいる子・・・様々

そんな子供達の写真
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母は強し。ここのロッジの旦那さんはレスキューで活躍されているのでしょうか。
小屋の壁にいろんな証明書が貼ってありました。

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上左写真、山の上の方にロッジが見えます。こちらはGOKYOへ行く道。
自遊人達は右写真の右端の丘にあるPhungI Thangの町を抜けてきました。
食事ができるまで時間がありましたので、日本の山仲間に電話しました。
こんな山奥でふだん使ってる携帯で電話できるなんて便利だなぁ~

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さて、ナムチェに近づいてきて、お土産を何にするか頭を巡ります。

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2011_11_19_168412:30頃、クムジュン・ゴーキョとの分岐につきました

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ライチョウのような鳥がいました。

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角やしっぽ、毛並みで牛・ゾッキョ・ヤクと区別がつくようです。

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14時半頃にナムチェのサクラホテルに着きました。
この日は土曜日ということで朝から生鮮食料品も出るバザーが開かれていたそうです。
夕方にはさすがに食料品などは終わっていました。

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ここに着くまでいろいろありました。計画より2日遅れで着いたナムチェに1日に早く帰ってきました。
後日聞きましたが、隊長さんは心労で眠れない日々だったそうです。
これだけの人数、例え顔見知りの仲間同士でもいろいろあります。

2011_11_19_1724この夜は実力あるシェルパさんが揃いました。

明日からはもうグループがバラバラで行動することはありません。
でも気持ちが一緒であったかというと、一度壊れた心のつながりは簡単には修復できなかったのでした。         

Debucheへ <カトマンズへの帰路編>

2011_11_18_2300空は青空一杯ですが、心は晴れぬまま。

夜中、酸素飽和度が73%まで低下しましたが、血圧も熱も正常範囲でしたので水だけ飲んで寝ました。
翌朝は83%まで回復。なんだったのかな?

とにかく、今日(18日)はディブチェまで15kmほどの行程となります。
食欲はないけど、無理してでも詰め込んでロブチェを後にしました。昨日すぐそばにあったプモリはもうこんなに小さくなりました。

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2011_11_18_230540分ほどで遭難碑のたつThokla峠に来ました
(※ ‘la’ 自体も峠の意味だそうです・・・)
先頭はプードルジシェルパ。荷物をもってもらった自遊人が続きます。
プー君はだいたい早足だし、自遊人も足はくたびれてません。途中で休憩してますから実質歩いたのは30分程度?

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雪崩とかで亡くなった多くのシェルパや隊員がここに眠っている神聖な場所です

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2011_11_18_2316下りは速いですね。

たまに先頭を任されるシェルパのプー君。
カラパタールも初めてだったそうです。
歩く道に迷うと一番後ろにいるチリンに道を聞いていました。

9時半前にトゥクラの町まで下りてきました。

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右写真中央の坂を下ってきました。大した坂ではないですが、ここは4000m超の地、登りはきつかったです。

2011_11_18_2321さて、トゥクラからさらにペリチェへと下ります。

下りきる頃には遠くペリチェの町が見えます。
距離にして約3k、見えている分到着するまでの時間は精神的にも長く感じました。

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トゥクラまでの行きと同じ風景を見ていますが、行きはディンボチェからの上の道からでした。今は川と同じ標高から見ていますが、同じ山も雰囲気が全然違って見えます。

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2011_11_18_2339_2昼食の時間はたっぷりあります。

精神的なこともあって体調は本調子ではありませんが、普通に食べられるくらいには回復しました。
この日もシェルパ(プー君)がザックを持ってくれましたので、体は疲れないどころか元気になりました。

サンドイッチと巻きずしの不思議な組み合わせ。
ポテトフライが美味しいです。

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2011_11_18_2353ズームアップすればそれなりの大きさに見えるローツェ。

今日は18日。一番そばまで訪れたのは4日前のことでした。
こうしてだんだん遠くなっていくと寂しい気がします。

最新の調査では「ヒマラヤの氷河はなくならない」との事ですが、次、訪れることがあった時、どんな姿をみせてくれるのでしょう。期待と不安が入り混じった気持ちを抱きながら、エベレストの眺めを背に下っていきました。

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途中で日本人のグループと会いました。カトマンズ⇔ルクラの飛行機が天候不良で飛ばず、やはり予定が大幅に狂ってしまったそうです。

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ザックも持ってもらってるし、帰りは楽だなぁ~。
最後の写真の一週間前の様子はこちら

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載っていない地図もあるディブチェは結構縦に長い町でした。
町をどんどん過ぎていき、「まだかなぁ~」と思った16時頃到着しました。
行きに「インターネットができるんだ」と思いながら通ったので見覚えがありました。

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ここのロッジが一番いい感じでした。なにせ食堂には音楽が流れているし、部屋の壁はベニヤむき出しじゃなくて壁紙が貼ってありましたからね。
ドイツ人のグループも泊まっていました。西欧人のグループはリーダーらしき人が長々と説明し、それをおとなしく聞いているスタイルが印象に残りました。
グループの中のひとりがチリンさんの略歴に感激して、後刻名刺交換もしてました。
なんども写真撮ったり、我々もなんだかついでに撮られたり・・・こういう陽気さはもともと日本人は乏しいですが、最近の若い人は変わってきた気がします。

明日はいよいよナムチェ。先に下山した組は元気にやってるかな~   

カラパタールで思ったこと(11月17日)

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Ste2

3枚あわせてカラパタールからほぼ360゜の風景です。スケールを感じてもらうために強引にパノラマにしました
氷河ってもっと白いイメージ(カナディアンロッキーのは白かった)でしたが、ここのは茶々けてます。

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カラパタールはEverestView Point として多くの“観光客”が目指して訪れます。
訪れるために必ず必要なものは①時間 (高所順応のための余裕ある日程) ②体力 (ルクラから歩き)
現地ガイドもポーターもMUSTではないが、どちらもいたほうが圧倒的に楽だ。
体力を浪費すれば高山病にもかかりやすくなるし金はかかっても雇うべきだろう。
結局もそれなりの費用=金は必要となります。

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一番上の写真中央の山(なんて名前だ?)をアップしました。こんな壁面によく雪がついていますね~。

実は今回、記録係を受けていましたが、翌朝(18日)辞退したのでした。
記録を行った人の思い出だけにしたくない。旅行集の多くがスナップ集でそれはそれで良いものですが、行ったことのない人が読んでもそこから伝わるものは多くはありません。
それを否定されては役目をまっとうできないと思い辞退しました。

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       なんて鳥かな?

デジカメの時代になり「誰でも気楽に撮れる」時代になりましたが、その分「1枚の大切さ」が失われてしまった気がします。
持参したメモリーは合計32GB、但しclass6以上は20GB。そのほとんどを消費しました。
動画やRAWで撮影するために十分ではありませんでしたので、被写体によってメモリーを使い分けていました。やたらと無駄打ちはできないので相当気を使っていましたので、気楽な事を言われすっかり気力も抜けてしまいました。

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ロブチェから下山した人もいましたので、予定を変更してロブチェを早朝4時立ちでカラパタールまで往復することに変更になりました。
記録のためのストーリー作りと3時間の時差が抜けていなかったので、前夜あまりよく眠れなかったこともあり、行きから結構フラフラしていましたが、頂上での一言ですっかり気持ちが切れてしまい、下りはシェルパの手を借りることになった上、昼も夜も食事を食べる気力さえなくなってしまいました。

2011_11_17_2259わがままと言われればその通りですが、記録係として信念を持って役目にあたっていただけに、「馬鹿」呼ばわれしてはやっていけません。

長い遠征隊でのメンタル面における苦労はいろいろ聞いてきました。
でも、これほど厳しいとは思いませんでした。

2011_11_17_2260弱いと言われればそれまで、弱点克服は容易ではありませんね。

ただ、その事で隊長にも心配をかけました。
その事が気にかかってなりません。
高山病になると精神の混乱も起きますから、本人の言ってることはあてにならないそうです。脳浮腫って恐ろしいですね。

いずれにせよ、もう少し精神面をなんとかしないといけないのですが、性格とともにこれはなんとも致しがたい。

2011_11_17_2232ともかく、ここまでは記録係として写真を撮ってきましたが、その後は“自分”の記録用写真を撮ることにしました。
AFを使い、AEロックは使わないのでコンデジ並みに撮影でき楽ですが、写真は平べったくなります。

ロブチェから・・・(11月16日)

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「ダイアモックスを飲んででも全員でカラパタールに登りたかった」
後日、隊長からこんな言葉がありましたが、男性1人と女性4人は行くことを諦めました。
苦渋の決断だったと思いますが、ひとりは酸素飽和度が60%台まで落ちましたし(70%を切ると危ない)、明らかに高山病の症状を呈している人が多かったのでやむを得なかったでしょう。

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直ちに高度を下げる必要のある人もいることから、隊も分かれることになりました。
これはサポートのシェルパ達もいることですから容易ではありません。
ともかく5人は午前中にペリチェ4240mまで下山を開始しました。チリンが同行。その日の夕方5時頃送り届けて帰ってきました
(下山組はチリンの奥さんのダワンさんがナムチェまでガイドしました)

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なんだかんだで16日は天気もすぐれず一日完全休養日となりました。
チリンの留守中はプーくんがリーダーを預かっていました。
21歳とまだ若く、経験もまだまだ。カトマンズ暮らしが長かったせいか、ちょい太めの彼でしたが、一生懸命やってくれました。宴会になると結構面白い。

さて話は戻って、16日朝の様子。
朝から時折雪が舞うあいにくの天気。

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北緯約28度といえば奄美大島より南、硫黄島よりは北くらいのイメージでしょうか。
でも標高約5000mともなればさすがに寒い。ちなみに冬に麓の大雪の目安としてよく耳にするのもこの標高の気温です。

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じっとしていても仕方ないので、午後、クンブー氷河の見える丘をぶらぶら歩きました。
写真左から南、東、西。ロブチェのある西側で雲はせき止められている感じ。東は比較的雲が少ないです。
雰囲気的には冬の安曇平みたいな感じでした。(西の山麓は雪が舞っているのに東山は晴れてる)

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プモリ、カラパタールは見えません。
昨日、食堂であった陽気な西欧人(どこから来たグループだったか忘れた)はこの日カラパタールを目指すと話していましたが、どうしたかな~

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2011_11_16_0396_2氷河のそばまで行ってみたいなぁ~。でも抜け落ちたら生きて帰れないし、そもそも足元は今日もサンダルでした。

宿が下に見えます。

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2011_11_16_0406刻々とその姿を変えていく氷河。(注)目で見えるほど速くはないですけどね
氷の中には太古の大気が閉じこめられていることでしょう。

一部は融け、川となり海へと流れていきます。
また一部は昇華し空へと消えていきます。

こうしてながめていると、何か話しかけてくるような気がしました。

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しばらく北へと歩いていきましたが、天気は好転しませんでした。
時折雪も舞い落ちてきますし、宿へと帰ることにしました。

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夕食はカレー。茶碗蒸しも出てきました。
いろんな一品が出てきて楽しみです。   

安曇野の光と風

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